テーマ:映画館で観た映画(8573)
カテゴリ:読んで(観て)みました。
観終えたとき、体中がこわばってました。顔も。 随分と歯を食いしばりながら観ていたみたい。 相当緊張して観ていたんだと思います。 終わった瞬間、ぶわっと涙が湧いて出てきそうになったんだけど あれはどうして、何の涙だったのか、自分でもよくわからずにいます。 強いて言うなら解放かしら。 黒鳥の演技に、ここまで精神的に追い詰められることを要求されるだなんて バレエ音楽の作曲者であるチャイコフスキーも驚いているんじゃないかと思います。 人間誰しも二面性を持っている存在だと思うし、それ以上に複雑なものだとも思うけど 表に表わされるのは見られてもいい都合のよい部分だったり、或いはその逆だったり 意外に一面的なもののような気がします。 自分の人間性というか、その二面の両方を見ることが出来るのは実は自分自身だけなのかも。 だけど表現者は違う。 必要とされれば、自分の見せたくない部分も“表現”の名のもとに たくさんの見知らぬ人の前にそれをさらけださなくちゃならない。 新しい自分を表に引き出せることを楽しめる人もいれば、 相当ストレスに感じる人もいるに違いない…なんて思います。 ナタリー・ポートマン演じるニナが、主役を演じたい、でもなかなか要求されるような黒鳥を 演じられなくて…ってどんどん自分を追い詰めて、破綻していく様は観ていて怖かったです。 役を追及しているというよりは、どんどん自分を精神的に破壊していっているようだったし。 それでも、自分の殻を破ることが出来ない…っていう苦しみ以上に 主役を演じるのは自分だっていう執着の方が強くて…その迫力に傍で観ている方は 「負けた」っていうか、ただただ圧倒されてしまうのかもしれないな、と思いました。 バレリーナであるニナと、その役を演じたナタリー・ポートマンがぴったり重なって見えました。 そのどちらも、役になりきるためなら、体を傷つけることも気持ちを追い込むことも、 その目的のためだけにやってのけてしまうだろうな、と思えてきました。 スクリーン上で白鳥を演じる彼女の表情のほとんどは、繊細で、臆病で、 常に追い詰められている顔をしているけれど、その表情を作り出すために 表に見えぬところで、常人には考えられないほどタフな精神を培っていそうで それがもう、この映画そのものというか、観ている方に緊張を強いるほどの エネルギーだったんじゃないかって思います。 *映画の公式HPは→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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