|
カテゴリ:ブログ
秋の夜長ということでもないのですが、google傘下となり益々巨大化する動画投稿サイト『YouTube』に関係して改めて著作権、知的財産権、はたまた肖像権や隣接著作権につきフカーク考えを整理してみました。
現在オカミの大方針はすべての複製は違反、禁止ということなのだそうです。 拙者は市井の一庶民としてオカミに逆らうほどの気概はないのですが意見くらいは言っても今の日本では大丈夫なようなので、思うことは発言したい。 『YouTube』にはご多分に漏れず当初、いわゆる違法コンテンツが山ほど投稿されていて、本当のところそれであれだけ大勢の民が殺到したというのが事実だと思うのです。その多くはTV局が放映したビデオの切り取りコピーで現行法規やモラルではけっして許されるものではないのです。 しかーし、垂れ流しのTVコンテンツでもその一部を切り取った時、葬り去るにはおしい映像が多く存在しているのは間違いない事実です。惜しいかどうかは見る人が思うわけで例えDVDなどで売られていても全編まで見る価値のあるものは、残念ながら微々たるものです。映画にしても上映期間が終了した後はTVに乗せるくらいが関の山で、何回も再放送することはあるにせよ、これはと思う作品は個人が録画するかメディアを購入するでしょう。旧来のメディア業界がアホやなーとおもうのは無数の人々がその過去の作品の存在をアピールしてくれるということの重大さを認識されないようで、知っているか知らないかが一番肝心なことなのではないでしょうか。 知ってもらえばまた新たな機会・チャンスが生まれるわけで、それを無数の人が手を貸して上げますよといっているようなものなのだが。 原作者の知的財産権を守るなどという名分で定めている現行法規やオカミの正義は明らかに文化を後退させている。算出方法は難しいがおそらくトータルでの経済効果はオープンにしたほうが増すと思う。 言葉を記録・出版する活字の発明が大きく人類全体の文化に寄与したことを思うとき、音や映像を記録することを禁ずるという考えにはとうてい与しかねるわけです。公にしたところで人類全体のものとしなさいよと強く思うのです。誰が言い始めたか作者の没後50年だ70年だと根拠が解らない。特にわが国では相続税をもってなにもしなけりゃ3世代続かない極めて共産主義的平等性が根付いているのに不思議でしょうがない。世襲で後継ぐ事業でもこのように無条件に権利を与えられるなんてのは数百年前までのことでしょ。 で、『YouTube』の投稿映像に戻ると、ビックリ映像やクスッと笑うような個人作品はそれとしてやはり感銘を受けたり全編を見たいと思うようなものは圧倒的に今のオカミがいう違法画像であるように思う。そして、サイトもそうは言いつつそれが人気の元と承知で運営している。一応、「これからは違法映像の排除が課題だ」とか言っているけれど、んなものだれも見ないって。 旧態依然の各社もコンテンツを埋没させず、商品としてあるものならダイジェストをバンバン乗せて世に知らしめなさいよ。それにはwebの活用が一番でしょう。優れた映像や旋律を、演奏を死蔵させるのは罪悪だ。規制やおかしなモラルさえ無くなればネット版口コミってなもんだ。 ◆これもTV番組の記録。 『allmovie.com』というDVD制作販売の会社かな、 拙者でさえほしくなってしまう。50~60年代のクリップをかいま見てつくずくそう思った。良いものは時代を超えて良いのだから。 ♪~Miles Davis - New Rhumba (1959) ブログサービスでも力量あるところはembedさせてるから直に映像を出せる。 そして、あいも変わらず直リンク禁止などと憲法違反みたいなことをいってるメジャーなサイトも何を考えてるのかさっぱり理解できない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ブログ] カテゴリの最新記事
|