テーマ:性別適合手術(7)
カテゴリ:性教育/性球儀
『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎)より抜粋
(頁三〇六~三〇七) おれがいちばん幸せを感じるのは、ひとりきりでいるときさ。別に人付き合いが悪いってわけじゃない。ただ、自分ひとりでいるほうがずっと居心地がいいんだ。それは孤独とは違う。リラックスして、とてもおだやかな気持ちになるんだ。そう、祖父の農場にいたときのような感じかな・・・ でも、おれは自分の子供たちを愛しているし・・・そしておれは、自分の身に起こったことを、あの子たちに伝えたいと思ってる。こんなに大事なことを内緒になんてしておけないからね。・・・ じつはもうすでに、いちばん上の娘には話したんだ。娘が一五歳のときにね。さすがに驚いてたよ。『お父さんが女の子の服を着ていたの?』ってな顔で。でも、だいたいのところはわかってくれた。『別にそれで父さんのことを嫌いになったりしない、いまでもおんなじように愛してる』って言ってくれたよ。・・・ 娘たちに真実を告げるよりも、息子に対しての方がむずかしそうだな。息子と父親の関係は微妙だからね。息子はおれに対する考え方を変えるかもしれない。『おれのお父さんは昔、女の子の服を着て、女の子の名前で呼ばれ、女の子として生きてきた』、そんな事実は容易に信じられるもんじゃないだろう。 相手が何かをなかなか受け入れられなかったり、ばつの悪い想いをしてるのは、その顔を見ればすぐにわかるさ。もし息子がおれを軽蔑の目で見るようになったら--- ---。 自分のことを恥じながら生きるのはもううんざりなんだ。その思いは、一生消えないだろう。いまのおれは、自分は何も悪いことをしていないのに、まるで自分を恥じるように訓練されたような状態なのさ。おれはかつて女の子の服を着て、女の子の名前で呼ばれて、長い髪をして、頭のてっぺんから足のつま先まで女の子だったっていう思いを、一生背負って行きていかなくちゃならない。 その記憶を消すことなんて不可能なんだ。おれはただ精一杯、生き残りを賭けて闘いつづけていくしかない。『これはおれのせいいじゃない。おれのせいで起こったことじゃないんだ』って自分に言い聞かせながらね。 母さんにしても父さんにしても、すべてはおれの幸せを願ってしたことだった。親ならだれだって子どもの幸せを願うものさ。でも、おれは両親のために幸せになることはできない。自分自身のために幸せになる必要があるんだ。結局、人間は自分以外の何者にもなれやしない。自分はいつだって、自分でなきゃならないんだ。 でもまあ、もしおれが普通の人生を送って、いっさいこんな目にあってなかったら、いまごろはおそらく、あの連中のような男性優位主義者になってただろう。 仕事に行って、へとへとになるまで働いて、家に帰ってビールを飲みながら、テレビでスポーツ番組を観る。 で、たまたまいまのおれのような人間がテレビに映っていると、『うぇー、気持悪い』なんて言うのさ。もしかしたらそれがおれの姿だったかもしれない。 俺が父親から教わったのは、男っていうのは、妻を大切にし、家族の上に屋根を築き、良き父親であってはじめて一人前と言えるってことさ。 そういうことをひとつひとつ積み重ねて、人は男になる。せっくすはその次なのさ・・・あの子たちは俺の手で育ててるんだ。俺にしてみれば、それこそ男ってことさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 19, 2009 11:39:40 PM
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