韓国ドラマ カシコギ
**********************Blpgランキングに登録しました。ご訪問くださった方,『人気blogランキングへ』の文字をクリックしてね。人気blogランキングへ*********************************** 娘と私が,とても心に残ったひとつのことばがある。それは,「あなたがむなしく生きた今日は昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日。」 このことばは,あちこちで紹介されていて このことばの あたまの部分を書いて検索するだけで,たくさんのサイトやブログで紹介されていることがわかる。 このことばは,「カシコギ」という韓国ドラマでのものらしい。私自身は,このドラマは見たことがありません。カシコギについては,次のサイトで紹介されています。http://www.fbs.co.jp/thorn-fish/index.html 自分の人生は,一度きりしかない。それを,どう生きるのか? 今日,私は,限りあるいのちを,人生の一日を,どう生きただろう? 自分のカルマを生きる・・・。そんなことばを聴いたことがあります。宗教っぽいですが,特定宗教には入信しておりません(笑) カルマとは,「業」です。「業」とは,大辞林によると「〔仏〕〔梵 karman〕身体・言語・心による人間の働き・行為。行為は必ずその結果をもたらし、また現在の事態は必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想は、インド思想に広く見られる。カルマ。羯磨(かつま)。」 と説明されています。 こんな説明は,なんか重くなる感じですが,大辞泉では1 仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。2 前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「―が深い」「―をさらす」「―を滅する」3 理性によって制御できない心の働きと説明されています。 国語辞典では,なすべきこと。仕事。わざ。カルマは、「因果応報」という消極的なものではなく、自分がこの人生でなにを課題としているのかを教えてくれる積極的な視点だということを理解する必要があります。 何か難しい。「シュタイナー研究室」というHPの「カルマの開示を読む」では,納得できる答えが見つかりました。http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/karma/karma0.htmlカルマは、「因果応報」という消極的なものではなく、自分がこの人生でなにを課題としているのかを教えてくれる積極的な視点だということを理解する必要があります。 「カルマ」から逃げたり、排除したりするのではなく、そこに示唆されている課題を深く認識して、視点を過去にではなく、未来に向けていくか。そのことが極めて重要になってきます。 人は、だれかほかの人の代わりをすることはできません。その人にはその人にしか引き受けることのできないカルマがあります。そのかけがえがないともいえる「カルマ」の事実を見据え、そこにあらわれた課題を未来へと種を蒔いていくための行動へと方向づけること。「蒔いた種は刈り取らねばならない」ということを未来のみずからの生からとらえかえし、未来に向けて種を蒔こうとすること。 NLP的にいうと,自分のミッションかなぁ? 自分は,何をするために生まれてきたのか? 輪廻回生というものがあるとすると,生れ落ちた瞬間からこの世ですべきことは,その人の中にあるのかもしれない。 自分の潜在意識の奥深くにうずもれてしまった自分のミッションを,探したいと思うのです。毎日のいろいろな出来事は,まさにそれに気づけという遠くからの声なのかもしれない。 その声を,聴くための感性,アンテナを磨いていきたいと思います。わけのわからない内容になってしまいました。