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たまたまテレビをつけたら、棋士の加藤一二三さんのドキュメンタリーをやっていました。 彼の変人?ぶりのチャーミングな言動が目立って、人気も出ているらしいですが、 その変人ぶりも天才だからこそ、と注目していたのですが、 今回のドキュメンタリーを見て、かなり驚いたことがありました。 彼は、クリスチャンだったのですね。 なんとなく、棋士で天才、というと、宗教には興味がないというか、 将棋のことを考えるので、いっぱいいっぱいなのかと勝手に思い込んでいたので意外でした。 しかも、通っている教会でも、その祈りの集中度と長さでは有名になっていたそうで、 彼が言うには、 「祈って、祈って、祈り続けて、それでも祈り続ければ、神様の方でも根負けして、祈りを聞いてくれる。」と。 私が知っていたキリスト教の 「たたけよ、さらば開かれん。」という言葉。 私の中での解釈は、 「ドアを開けてほしいのなら、そもそもノックをしないと相手はあなたの望みに気づかないのですよ。」 という軽いもの。 なんだけれど、このドキュメンタリーではアニメで説明されていたのですが、それが、 夜、寝ている知り合いの家に、 ノックをして「友人が家に来たのですが、パンがないので、どうかパンを少しわけてください。」と叫ぶものの、 知り合いは、寝たふり。 またもや、ノックをして同じセリフを繰り返すも、 知り合いは「もう、夜だから明日にして。」と応じず、 それでも、ノックをしてずーっと言い続けるに、 知り合いが根負けして、とうとうパンを差し出す...というもの。 そんなに、しつこく?何度も何度も「門をたたく」という意味だったのですね。 ちなみに原文では「たたき”続け”よ、さらば開かれん。」となっているらしい。 そして、彼の将棋人生は、まさしくこのたたき「続け」たもので、 しかも、引退した今ですら、続いており、 相撲で言えば、かつての横綱だった人が、 横綱の地位を追われても、引退に逃げず、 戦い続けて、ついには十両の相手と相撲をとりながらも、 これで勝てば横綱になれるかも...と米1粒もない可能性にかけて、 しかも、それが本当に可能だと信じて、将棋をさしつづけるすごい執念とエネルギー。 羽生さんもインタビューでは「彼は、求道者のような人で」なんて言ってて、まさしく。 将棋界の天才もいろいろいらっしゃるけど、 私の中のイメージって、天才だけに、こうさらっとクールに勝つイメージだったのですが、 一二三さんは、汗を流し、歯を食いしばり、 必死の中のさらに必死になって、余裕などいっさいないギリギリのところで、 身も蓋もなく、勝ちを取りに行く...というところが、イメージと違い、また感動したところであったのです。 みんなそうなのだろうけど、 どこかそういう余裕のなさは見せない美学のほうが一般的な中、 彼のそういう「かっこ悪い」ところを一切取り繕うとせず、 ただひたすらピュアにまっすぐに神を求め続けるということ、 そして、このひたむきな自身の姿がすでに神の色を帯びてきているのを、本人は知らず、 彼の信仰とも重なり、素晴らしかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.09.18 01:16:23
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