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自分の気持ちにぴったりな映画を見ました。 「桐島、部活辞めるってよ。」 あまり邦画を見ない、 というか、そもそもあまり映画を見る時間が本当にない... のですが、ここ最近、怪我のため、 武術の稽古にあまりがっつりいっておらず、時間に余裕があり、 小説を読んだり、音楽を聞いたり、ゆっくり過ごしているのです。 そこに友人から 「この映画ってね、観る人がそれぞれ必ずどれかの人物に当てはまるらしいよ。」 という面白いおススメのされ方をしたので、興味がわき、見てみました。 それが、今の自分の気持ちにぴったりの映画で、面白かった~!! (以下、ネタバレが含まれます) 舞台は、アメリカの映画にもよく出てくるスクールカーストのある高校。 スポーツができて、見た目もいけてて、クラスの中心で目立つリア充な生徒たちと、 スポーツができなかったり、おたくで、もちろん彼氏彼女もおらず、目立たない生徒たちが出てきます。 なのですが、そこに事件が起こります。 単純に言うと、 そんなスクールカーストのトップともいえる桐島が、部活をやめることになり、 「いけてる」グループたちが動揺し、それまで均衡をたもっていた関係が揺らぎ始め、パニックに。 一方、いわゆる「いけてない」グループたちは、全く揺るがず、何の影響も受けず、 今までどおり、好きなことをコツコツと楽しんでやるっていう話。 結局、この話って、 基準になっているものが内にあるか、外に求めているか、ってことだと思うのです。 「いけてる」グループは、自分の価値基準、判断基準を「桐島」を象徴としたものにおいており、 いざ、そのものがなくなると、自分の基準がないので、 どうしていいかわからなくなる。 一方、映画内の「いけてない」グループは、 自分の基準が自分の中にあるので、外がどうなろうが、いっさい影響を受けない。 私の今年の抱負というか、 今年から始めた変化は「自分軸で行く」ってところ。 ふと、気をぬくと自動で「他人軸」やってしまうのよね。 例えば、武術の練習でも、 「先生が見てるから、ちゃんとやろう。」とか、 「後輩に見られてるから、うまくやろう。」とか、 他人に認められたい、とか、他人にうまいと思われたい、とか、 あれ、武術って、自分が楽しいからやるんでしたよね!? 日常生活でも、気づくと、 ここで先生に気にいられたら、後で得するから、 本当はやりたくないけど、将来の保険に... って行動をいかにやってしまっているかってこと。 でも、私は「人の評価を受けるために」存在してるんじゃなかったですよね!? 自分が楽しむために、自分が経験を味わうために、この場にいるんだったはず。 なのに、つい気づくと、 自分は全然やりたくないのに、「自動で」やってしまうことがいかに多いかってこと。 =自分の判断基準、価値基準が、内側でなく、外に(他人)求めてしまっている。 この変化をやろうとはじめてからでさえ、今もまだまだ、 「あ~、さっき、また他人軸でやっちゃった~。」と思うことが多いのに、 これに気づく前は、いかに普通に何も考えずにやっていたんだろう?と。 何百回、何千回と自分の気持ちをないがしろにしてきた過去を思うと、恐ろしくさえ。 でも、知らないまま、これで人生をずーっと行く場合もあることを考えると、 今さらでも(遅かったけど)これに気づけて本当によかったと思います。 今、まさにそんなことを考えている自分だからこそ、面白く感じた映画だったのかな。 そして、この映画も小説も大ヒットしたということは、 そういう思いをしている、またはそれに気づいた人がたくさんいたということですよね。 そして、同胞が、こんなにもいるって気づけたのはうれしいですよね。 みんな、孤独な戦いだと思っているけど、実際は、フタ開けたらいっぱいいた的な感じでしょうか。 そういう気持ちにさせてくれるいい映画を見ました。 ということで、古い映画なので、 見た人でも、もう一度今改めて見てみることをおススメします☆ *ちなみに、友人の言う「自分は登場人物のどれかに当てはまるよ。」は、 残念ながらどれにも当てはまらなかったです。 私の高校時代って、地方だったからか、あんなヒエラルキーはなかったし、 本当に「楽しかった」の一言。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.02.14 12:45:53
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