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先日、友人と話していて、
「すごくいやなこと」、「すごく腹の立つ人」っていうのは、自分の固定観念に気づかせてくれる神さまみたいなもんじゃない? ってことに気づきました。 私も彼女も最近は、自分の成長とか変容に重きをおいていて、 「今まで当然と思っていたことをいったん手放してみよう。」という気持ちで毎日を実験しているのですが、 例えば、「自分のことは棚に上げて、あれこれ人に言う」タイプのAさんという人がいて、苦手な人だなーと思っていたとします。 今までの私たちなら、 すっと離れて関わらないようにしていたり、 Aさんといても、どう自分が心地よくすごせるかを試行錯誤していたと思うのですが、 それだと「その課題がずーっとついてくる」ような気がするのです。 結局、そのAさんとは離れても、 また別の人に形を変えて、そういう人が目の前に表れるんじゃないかと。 じゃあ、どうして、Aさんを不快に感じるかというと、 そもそも問題はAさんではなく 「自分のことを棚にあげてあれこれ言ってはいけない。」っていう思いこみがあると思うのです。 でも、よく、よ~くよ~~く考えてみると、 別に、自分のことを棚にあげてあれこれ人に言ってもいいじゃない??? ましてや、文化や国が違えば、これを良しとするところもあるかもしれないし... これはこの場の思いつきですが、 なぜそれを言ってはいけないかというと、 例えば、自分の中で「自分ができてないのに人に言う資格はない。」と思いこんでるとか、 例えば、「レベルが上のものからだけ、人にあれこれ言う資格がある。」と思ってきたとか、 結局、そういう自分で自分を縛ってきた何かがあり、 それをAさんという人が体現してくれていて、 その自分の縛りに気づけると言うんではないかな? そして、その自分の縛りに気づけると、なんとなく、Aさんがそういうことをしなくなったり、 または、Aさんが離れて行くということになるんじゃ...と仮説を立てているのですが、どうだろう? (もしくは、Aさんが相変わらずそういうことをしてても、前ほどイヤな気にはならないよね) なんとなく、この価値観壊しを通して、変わってきた自分の最近の考えは、 ・働かなくてもいいんだ (たまたま自分が仕事が好きなのと、勤勉に働く祖母の影響で、みんな仕事をするべきだと思っていた。 でも働いてない人も何気に世の中にたくさんいる。) ・人に好かれなくてもいいんだ (特にこれは武術の稽古で顕著だったんだけど、先生や先輩に気にいられようと、好かれようとしてた。 でも、よく考えてみれば、人が私のことを好きだとか嫌いだとか思う感情はその人の自由で、私が関与する問題じゃなかった。 私自身も、相手の思惑お構いなしに、相手のことを好きになったり嫌いになったりするし。) ・何か人と違う能力を持たなくてもいい (これも、能力は趣味?みたいなものだから、それがなかったとしても、自分は同じ。 例えば、芸をする猫もかわいいけど、なーんにもできなくても、猫は猫でかわいい。 能力を持ちたくて、その努力が楽しいんならやればいいけど、やりたくないならそれでよし。) などなど。 たったこれだけを見ても、自分の握りしめてきた思いこみ、しんどかったろうな~と思います。 そして、これからも、まだまだその価値観を壊していきたいです! そうやって、どんどん変容していきたいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.07.02 21:03:48
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