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すごく危険な箇所を車で回る機会があり、
ガードレールのない断崖絶壁を、車2台がすれ違うも、やっとのところの険しい山道で、 ドキドキしながら、行く先を見ていたことがあったのでしたが... しばらくして、 「もう、私がどうこうできるもんでもなし、ドライバーさんに委ねよう。」と。 道自体も悪路だったので、そうとうにユレるのですが、 そうやっているうちに、 いろーんなことが「どうでもよくなって」しまい、 仕事のあれこれ、 将来の自分の目標やら、 日々しないといけないこと... そんなことも、ものすごく小さく思え、 「ま、いっか。」と思えたことは大きかったな。 結局、人生もこんな感じでいけるといいな、と思ったんでした。 もう私みたいな小さいものがどうこう思いめぐらし、バタバタするのはやめて、 大きな宇宙の流れに身をゆだねればいいんじゃない?と。 その流れを信じるのみ。 実は、「信じる」って面白くて、 「信じる」と「知っている」の差はなんなんだろう?と思うのです。 私は、○○を知っている、というが、 厳密な意味で、本当に知っているのか? 「自分が”知っている”と信じている」だけなのではないのか? 私自身のことでさえ、自分はこうである、と知っていると言うよりも、 むしろ、そうだと信じているのでは? それこそ、科学でもなんでも、例えば、物は原子からできていて...なんてのも、 実際の目で見たわけでもなく、 多くの科学者たちが言っているのを「信じている」のでは? 結局、何一つ私達が知っているものって本当はなくて、 すべて、あると信じているものだけなのでは? 宇宙の流れを心から信じるのは難しい、と思った時期もありましたが、 なんだか、あの経験以降、「心から」信じられる段階に近づいたように思えるのは うれしいことですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.15 15:31:19
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