最近、立て続けに同じタイプの人や出来事があり、
そこで感じた違和感をまとめると、
「効率を求める行動の先に私の欲しいものは入ってないな。」ということでした。
それらの人々や出来事は「無駄なものを排除」とか、「必要なことのみに集中」を表していて、
それを聞いたり見たりするたびに、
「なんだかつまらないな。」と思っていて、
それは何なのかな?とゆっくり考えるに、
じゃあ、その効率や無駄を排除した先に何があるのか、と答えを探すと、
ああ、自分の欲しいものはそこには入ってないな、と。
Yきにその話をすると、ぴったりの言い方をしてくれました。
Aだけをして、Aになるっていう場合のAと、
いろいろなことをして、その中からそぎ落としてAがでてきたって場合のAって、
見た目は同じAでも、似て非なるAだよね、なんてまさしく名言!
でも、私もその最近会った効率重視の人々の気持ちはわかります。
少しでもAに早く近づきたい、だから他のことを排除してAだけをするっていうの、
私も昔はまさしくそれをしてたし。
だけれども、そのAのみへの効率を追求して、でてきたAを見た私の感想は、
「(なんかうすっぺらくて、味のない空虚なものを見ているみたいで)つまらないな。」だったのでした。
じゃあ、同じAでも私が、
「ああ、味がある!面白い!!」と思えたものって、
その人が、あれもしてこれもして、決してスマートではなく、
泥臭い~けど、その泥臭さがかっこよく、味になり、素敵で、唯一無二のものに見えるのよね。
その効率重視でAを手に入れた人からは、
いろいろ遠回りをしていて、もっとも無駄な感じに思われるんだけど、
私からしたら、それが一番の近道というか、
逆に、効率重視でそれをするほうが一番の遠回りどころか、
Aには決して近づけない違う方向に向かっちゃうんじゃないかな。
やっぱり、今やっているように、
どんどん格好悪く、
どんどん泥臭くやっていこう、
その途中経過を楽しみながら!
なんて思っていたら、昨日の晩、Yきから、
「もうマルチタスク辞めた~。」なんてラインも来てたし、
それしかないねー。