カテゴリ:悟り(連詩)
瑠璃の光も磨きから。
玉みがかざれば器を成さず。 玉みがかざれば光なし。 人間は、「肉体(有形)」と「精神(こころ・無形)」から成る。 「精神」は、内側(奥)に向かって、「心」・「魂」・「霊」を有す。 「心」と「魂」の間には、 今まで蓄積してきた「自我心(エゴ)」の汚れた垢が、壁になっている。 したがって、その壁にじゃまをされ、 普段、「自分」だと思っているのは、 「肉体」と「心(壁を含む)」にすぎない。 実は、その壁の奥の、「魂」こそが人間の本体。 そして、 本体である「魂」を育てる材料となるものが、 「肉体」と「心」。 さらに、 「肉体」・「心」・「魂」のすべてを育てる智慧の肥料を与えるのが、 「精神(こころ)」の最奥に存在する「霊」。 この「霊」こそが、「高我」・「真我」と言われる、 人間の本質である「大いなる自己」。 「大いなる自己」は、 「精神(こころ)」の最奥に存在するとともに、 大宇宙、大自然にも同時に存在し、 計り知れない神秘性と壮大さを有す。 「肉体」と「精神(こころ)」がバランスよく一体化するために、 「自我心(エゴ)」の壁を打ち破ることと、 「魂」に磨きをかけるための智慧を授ける導師として、 「大いなる自己(霊)」が「心」の最奥に存在する。 玉みがかざれば・・・の玉とは、「魂」。 「魂」が光れば、本来の自己の姿が明らかになる。 自然に不安や恐怖から解放され、 「魂」が自由に働き出し、各々の「魂」の個性が顕現する。 この使命の遂行と、「心」の改善によって、 「魂」はますます研磨され、人生の本来の目的が成し遂げられていく。 「悟り」とは、得ようとして得られるものではなく、 「大いなる自己」に問いかけながら、 今の自分を省みて改善し、 「魂」の使命を遂行していくことで、 自然と付いてくる。 「大いなる自己」は「魂」の師であり、 「魂」は、「心」と「身体」の師である。 「身・心・魂」を一体にするためには、 すべてを知っている「大いなる自己(霊)」にゆだねること。 「自問自答」とは、「大いなる自己(霊)」との、学びの対話である。 大いなる自己と対話する 「自問自答」より。 (天野聖子・著 MBC21・発行) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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