カテゴリ:ありのままに
求めて、得られるのではない。
それはすでにあった。 しかし、 そこに気づくためには、 求めることが必要だったのである。 「子曰く、 仁遠からんや。 我仁を欲すれば、 斯(ここ)に仁至(いた)る」 (論悟) 仁とは、人が生まれながらに与えられているもので、 遠くに求めるものではない。 仁を実践しようと思えば、 仁は直ちに実現される。 今ここにある、 命の中にすべてが具(そな)わっている。 この生で、すべてが足りる。 他に求めずとも、生まれながら、 自らのうちにちゃんと整いしまわれている。 仁とは、一体感。 「仁内在」の気づきにより、 自らを統合することにより、 他との一体感が生まれる。 「すべてひとつ意識」こそが、仁。 仁の外に対するハタラキが、 「忍びざるの心」=忍びなく感じる心。 あるいは、「惻隠(そくいん)の情」。 相手と自分が一体となれば、 少なくとも(相手が自分をどう思おうとも)、 相手の悲しみは、自分の悲しみであり、 相手の喜びは、自分の喜びである。 自分がしてほしいことを、相手にしてさしあげる。 自分がしてほしくないことは、相手には決してしない。 相手がしてほしいことを、してさしあげる。 相手がしてほしくないことは、決してしない。 これが、真の「大人(おとな)」=「大仁(たいじん)」。 一切の差別感からの解脱。 究極の一体感こそが、 仁そのものなり。 そして、 その仁こそが、 我そのものなりと気づくときが、 真我の目覚め。 あぁ。 すべては・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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