|
カテゴリ:宮崎駿
…前半からの続き 「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」 この事をもちろん父とも話していないし家族には今も言えていない。 軍歌という戦争を賛美するような代物を歌う父は泣いていたのか?懐かしんでいたのか?触れられないのだ。 彼ら世代が味わった経験者の思いは永遠に消えるモノではないのだと思えた。 同時にその影響を子供世代も確実に受けている事も痛感した。 私の知る親と言う人達が感じて学び、その生き方を見せつけられ育てられた私達。 ミームという文化は善し悪し問わず伝えられてしまう。 環境のせいばかりにしてはいけないのは十分理解している。 それでも大人になり考えるのは 「過去に大きな大戦がなければ親も私も違う人生だったのではないか?」 と思えてしまい少しだけ泣けてくるのだ。 ヒトラーの元護衛で、第二次世界大戦末期のヒトラー最後の日々を目撃した最後の生存者、ローフス・ミシュ氏(96)が5日ベルリンで心臓発作のため死亡した、というニュースがあった。 分からないなりにも、何か心にチクンと棘を感じるニュースだった。 この世の大きな慟哭は世代を超えた影響力が残るものだと今は実感できる。 ------------------------------------------------------------ 引退会見の話に戻ると… 韓国の記者「風たちぬのゼロ戦問題についてどう思いますか?」という質疑に対し 宮崎監督:周囲も「風立ちぬ」に対して難色を示す反応があったとはいうものの 「ぜひお金を払って映画を見てほしい」と個人の意見を述べなかった。 もちろん公の場で政治的意見を述べる立場にないこともそうだが 誰よりも間違った政治、権力、社会風潮を憎んでいるのが宮崎駿世代だと思う。 作品から何を感じ取るかはその人の経験や感性からであるからゼロ戦設計を主体のテーマにしても伝えたいのはその心の部分だからなのだろう。 人は生きていかなければならない。 その為には国民が飢えることなく経済を周らせる為にも、国民が一致団結し同じ方向性をもつことが有効策だ。 それもどこまで国民だけの為なのかはわからないが…。 シリア問題でアメリカはG20で賛同を得ようと必死になっている。 中国も韓国も日本を様々な形で攻防してくるのはそういう国策の一環もあるのだろう。 共通の敵を作るのは国民の団結力=国力が上がる近道だからだ。 この情報化社会に未だ戦争のプロパガンダ方式を持ち出し それに感化されているかもしれない人達に呆れる以外にどうしたらいいのだろう? 人はきっと何かにこだわり続ける事で怒り続け、傷つき続け、負け続け、悲しみ続けるのだと思う。 2012年10月に流通ジャーナリストの金子哲雄氏が若くして亡くなったのは世間に衝撃を与えたが 奥様である金子稚子さんは著書「死後のプロデュース」の中で 「必要以上に悲しみ過ぎないでいられる事の方が大切だ」と言い切る。 グリーフケアの世界ではよく「いつまでも悲しんでいい」とは言われるが私も違和感を感じていた。 大きな喪失、悼みであっても悲しみ過ぎるのはソレに取りすがる事だ。 本当にそれでいいのだろうか…? 初めの1歩はキツイとしても 傷ついた心を自分なりに整理していく事、受け入れていく作業は悲嘆を癒すには必要なのだと思う。 宮崎駿監督が「生きろ」という答えだけを持ち、作品を作り続けた事。 金子夫人が執筆とそれまでの関係者に全国を挨拶して歩いている事も 自分を奮い立たせ、長い期間をかけて答えを模索しながらたどり着くのだと思う。 だがその道すがらは苦しくとも必ずゴールがあり、必ず成長できる旅なのだと思う。 自らを幸せにする為のこだわりじゃないなら、それは過去に負け続けている事にならない。 そんな事を考えると、宮崎駿監督の過去の作品もゼロ戦についても個人的意見は差ほどない事に気が付くのだ。 ただ「愚かさとは何か」は作品からもそれぞれの意見からも見て取れる。 時代が流れどのように変わるか分からない今の世の中に 今も生きづらい環境や状況に置かれている人はたくさんいる。 「ふつう」とか「一般的」と思われる凡庸な幸せさえ手が届かない、苦しい環境下に虐げられている人はきっと沢山いる。 そのせいで明るさや華やかさや普通ささえ目にする事で心がキシキシする思いを抱く事を「行儀が悪い」と宣言する事は相手の事情を深く知ると指摘できない事だと思える。 それでも 今どんなに辛く苦しい人生、状況の人でもそれを乗り越えなければならないと言われるのは、 今そこにいる人にも「希望」を託しているからかもしれない。 親世代と行き違いはあれど、共通するのはおそらく子世代には前を向き幸せに生きて欲しいという愛だろう。 今朝2020年のオリンピックが東京に決ると言うビックニュースがあった。 開会式・閉会式の総演出を願わくば宮崎駿監督率いるジプリで占めて欲しいと思った。 空には飛行石をまとった木が浮かび、王蟲(オウム)が歩き、ナウシカにメーヴェで会場中を飛んで欲しいな、と。 世界に誇る日本のアニメ産業で世界中の人に伝えて欲しいのだ。 「この世は生きるに値する」と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月08日 18時36分23秒
|