納得できない。
レッスンでエチュードをやったのだけど。 椅子に座っている人を立たせる という。 順番にやっていって、自分が座っている人を立たせる事が出来たら今度は座る側に回る、となっていたのだけど。 私が座る番になって。 2人座らせてあげられなかった。 本当は3人目も座らせてあげる事は出来なかったんだけど。 講師の方の目が『意地悪だなぁ』って感じの目をしていたので。 適当な理由に相槌うって立ちました。 エチュードって即興劇だろう? なら多少感情は入ってて当然じゃないの? 立たせる為の理由に真実味があって当然じゃないの? 私は友人立たせる時に(偶然その順番だった)本気で怒りと苛立ちをぶつけたけど。 結果脅しだの怖いだの外野に言われたけど。 私は本気で自分を腰も足も痛くて今すぐにでも座りたいって思いこませて、友人に怒の感情をぶつける事で立ってもらうように努力したんだけど。 私が座ってから対峙した二人はただ言の葉をつらつら並べるだけだった。 そこに一欠けらの真実も無かった。 だから立つ気にはなれなかったし、それで外野にどうのこうの言われる筋合いも無いと思ってる。 それで本人のテンションがだだ下がりしてもそれも仕方のない事なんじゃないかと思う。 二人目の子に後で『ああまで自分の殻に閉じこもられると…』と言われたけど。 閉じこもったんじゃない。 立とうって気持ちにならなかっただけだよ。 特にその子は妙な自信を持って話しかけてたけど。 なんの感情もわかなかったんだもの…。 三人目になった時は仕方ないから立ったんだけど。 三人目の子は私が立つ理由になった言葉を言う時、一瞬本気の色が見えたから。 あのエチュードは何が目的だったのだろう。 講師の方が解らないのではなくて、皆が解らない。 人って1%の真実も含まれていない言葉でも立ち上がれるものなの? 言の葉には力がある。 ありとあらゆる力が。 人を幸せにするのも不幸にするのも 構築するのも破壊するのも。 向けられる言の葉一つで変わる。 私達はその言の葉を自由自在に操れる職業を目指しているはずなのに。 そんなに軽んじて良いものなの? あれは軽んじても良い劇だったの? わかんないなぁ。 あんなスルスル流れていくだけのただの言葉で、何で皆立てるんだろう? 感情なんて二の次にしてたから? わかんないなぁ。