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カテゴリ:日記【今日の出来事】
今日、仕事を終え、家についてから毎週楽しみにしている「世界一受けたい授業」を見た。
数年前までは、今まで以上にテレビっ子で、毎週ドラマやバラエティーは欠かさず見ていたが、最近はドラマも週2・3時間だし、バラエティーも以前ほどは・・・ でも、この番組だけは絶対欠かさず、できればビデオにとって保存版にしているほど。 何がいいって、基本にあるテーマは義務教育時代に習ったことだったりするから「あー、そうそう」って思うんだけれど、講師の先生の話を聞くと、新しく教えてもらったように、表面しか分かってなかったことも、「あー、そういうことだったんだ!!」って霧がはれたようにすっきりするんです。 今日の授業、特別授業だった「死」について。 今、物騒な・・・というか「物騒」という言葉で片付けられないような事件が日常的に起きている中で、改めて人の死について養老武司先生の授業がありました。 一昔前までは、人間は家で生まれて家で死ぬ。ということが当たり前だったけれど、今はどちらも病院で起こる(起こす?)もの。 家はそれらを省いた、安全で快適な生活をする場所になっている。その結果、人の死に関わることが特別なことになってきて、人の「死」を特別なことと捉え、死から遠ざかり、命の実感がなくなりつつある。 私個人の考えとして、人の命を軽んじる傾向になるというのはテレビゲームの存在が大きいと考えていました。ゲームで人を倒し(殺し)、でも、簡単にリセットしてやり直せる。実世界ではありえないことが、自宅にいながら当たり前にしている。 《アメリカの軍人さんは人を殺す抵抗感をなくすため、ゲームで人を殺す練習をしているとテレビで見て心底ぞっとしました。》 しかし、今日、身近で起こる死を遠ざけてしまったということも、大きく関わっているのではと。 人間は、人間に似ている機械や、人間にはできないことをするロボットや道具を作ることはできても、人間を作ることは絶対にできない。 100円ショップのカッターナイフで一瞬の間に人を殺すことができても、100円で人を直すことができない。それどころか、いくらお金をつぎ込んでも、どんなに時間をかけても人間を作ることはできない。 この言葉を聞いて、今日の放送は多くの人に、特に、子ども達に見て、命について今一度考えて欲しいと思いました。 《ここからは書こうかどうしようか迷ったのですが・・・》 私が中学生のときに、理科の授業に「カエルの解剖」がありました。今はないんですよね。 確かに人間の都合で、命を奪われるカエルはたまったものではないかもしれません。しかも当人達はしたくしてしてるわけでもなく、キャーキャー言ったり、気分を悪くして保健室に行ったり。 でも、ナイフで傷つけて、その結果死んでしまう。当然の事を、目の当りにすることができました。授業が終わったら、どんな悪ガキもしょんぼりとし、クラス全員でお墓を作って手を合わせたものです。 そういう授業が正しいかどうかは別として、数年前まで授業の中に「カエルの解剖」があった存在意味を考えることは悪くないのではと思います。 今日はやけに真面目なことを語ってしまいましたが、私自身も現代っ子ですし、人間の死に関わったことはありません。物心ついた頃には祖父母はいなかったので・・・考えさせられました。 抵抗を感じていた人体の不思議展、行ってみたいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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