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テーマ:子供の習い事(2485)
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みなさん、こんにちは
連休はいかがでしたか?週末からちょっと気管支炎+熱っぽくなってしまい、落ち込んでいたところへPCのキーボードが故障してしまいましたが、何とか復活 一仕事がようやく片づき、ホッとしたところです さて、前回の日記に書いた大学ラグビーの試合は、 48-8で東海大の圧勝 だったそうです。 東海大のみなさん、優勝おめでとうございます 午前中の仕事を終え、自宅でテレビを見ていたら、後半のトライを決めた直後… 「わわっ、ヒデキだぁ」 真っ赤なユニフォームを着て、トライの嬉しさで立ち上がって旗を振っている幸せそうなヒデキが数秒間、ハッキリと映っているではありませんか 本当に運の良い子です。 やっぱり、あんなにコロコロした身体全身で喜びを表現していたから、カメラマンの目にも留まったのかな?(笑) あ、ちなみに当の本人は、東海大選手の勇姿にすっかり興奮し、会場でまた鼻血を出してしまった、とか? (興奮しすぎだろー?) 帰ってきてからも、何度も試合の録画を見て、タックルが決まるたびに、 「いっぽーーーん」 「これも、いっぽーーーん」 と、叫んでいました。 (それは、柔道だから。笑) いずれにしても、とっても良い記念になりました。 ビデオは永久保存だね♪ さて、今日はちょっと雑談です。 先日、テレビで映画『佐賀のがばいばあちゃん』を観ました。 既にDVDでも観ていたのですが、好きなので… 中に、野球部の部長になったお祝いに念願のスパイクを買ってもらえる場面があったのですが、それを見ていて、ふと思い出したことがあります。 小学生の頃の私にも、そんな貴重なものを買ってもらったことがあったのです。 私は小2から、ソロバンを習い始めました。 なぜかソロバンが習いたくなった私に、母が選んでくれた教室は、隣町にありました。 熱心なお母さん先生で、競技会にも参加していることで有名でした。 週に3日くらい私はそこへ通い、あっという間にソロバンが大好きになりました。 先生もそんな私の気持ちに応えるように飛び級などもしてくださり、一年後には3級に 競技会にも出場するようになると、ますますソロバンが楽しくなり、2級に合格するといよいよ1級を目指して練習に励むようになりました。 競技会では、大きな問題用紙を使います。 競技会に出る選手たちは、大抵、普通の下敷きの2倍以上の大きさの下敷きを持っていました。真っ黒で、何の絵も柄もないものですが、私はそれにとても憧れました。 運動会の徒競走で1等になったご褒美に、父が 「何か欲しいものがあるか?」 と尋ねてくれたとき、私は迷わず、 「競技用の下敷きが欲しい!」 と答え、町で一番大きい文房具屋さんで買ってもらいました。 読み上げ算って、ご存知ですか? 「ねがいましては~、 ○○円なり~、○○円なり~、引いては○○円なり~、 加えて○○円なり~」 と、先生が読み上げたとおりの数を計算していくものです。 私はその種目が特に好きでした。 大きな会場で、答えを間違えた人はどんどん退席していき、最後の2人とかに私は残るわけです。 そうすると、もう、嬉しくて嬉しくて… 興奮しすぎて、最後の計算は間違え、たいてい2位になっちゃうのですが(笑)。 教室でも毎月一度、「源平合戦」という試合をします。 4つのチームに分け、だんだん強い選手が出て競い、最後は大将同士が戦います。 そして、最後に買ったチームの子どもたちは一人一本ずつ、ソロバン教室の名前が彫ってある鉛筆がもらえるのですが、その鉛筆は赤、青、緑、白などの四角で、光沢のあるコーティングがしてあるのです。そのきれいな鉛筆が欲しくて、欲しくて…。大将から順番に好きな色を選んでいけるので、私は早く大将になれるように頑張ったわけです。自分が大将になって優勝できると、チームのみんなが喜んでくれて、そういうのが何とも誇らしくて… 1級の検定試験を受ける頃になると、周りの子たちが自分とは違うソロバンを使っていることに気づき始めます。 “ボタン式のソロバン”と私たちは呼んでいましたが、ワンタッチでご破算ができてしまう、という優れもの。しかも、高級なツゲで作ってある、というその玉は、茶色じゃなくて、明るい黄色なのです。 競技会でも、一秒を競って計算するほどのクラスになると、8割くらいの子どもたちがそのソロバンを使っていました。 でも… それが高価なのです 当時でも、10,000円くらいしたと思います。 5人も兄弟がいた私は、長い間、親にはとてもそのソロバンが欲しいとは言い出せず、誕生日に欲しいものを聞かれても、ストップウォッチが一番高価なものでした。(4,000円くらい) もちろんそれも、ソロバンの練習をするためのもので、日曜日などは自分でそれを使って時間を計りながら、よく練習をしていました。 そんな私も、ある日思い切って、母に交渉してみました。 我が家では 「みんなが持っている」 は通用しませんでした。 母の口癖は、 「他人(ひと)は他人(ひと)」 とか、 「よそはよそ。 うちはうち」 でしたから(笑)。 そこで私は、思い切って、 「1級の試験は2つあるんだけど、全珠連よりも日商の方が難しいんだって。 だから先に全珠連の方を受けるんだけど、 全珠連に受かって、日商にも受かったら、 ボタン式のソロバンを買って欲しい」 と、言ったのです。 すると母は、 「ええよ。しっかり頑張りんさい」 と、意外にもすんなりOKしてくれたのです。 もう、天にも昇るような気持ちでしたね~ そしてついに、小5の最後に日商検定1級に合格し、そのワンタッチ式ソロバンを買ってもらえる日が来たのです 開けた瞬間、眩しいくらいに明るく見えた黄色いソロバン。 パチッとボタンを押すと、きれいにご破算されます。 それは恐らく、私が子ども時代に買ってもらったものの中で、一番嬉しかったものだったと思います。今でも、あの時の嬉しさは忘れられずにいます。 習い事はソロバンだけでしたが、私には他に2つ、習いたいものがありました。 それは、ピアノと書道でした。 我が家にはオルガンはありましたが、ピアノはありませんでした。 「ねぇ、ピアノ習いたい」 と、母に何度か言ったことはありますが、 「大家さんが、ピアノは畳がへこむけぇ、ダメじゃ言うけん。 ピアノは買えんのんよ」 と、母は言っていましたが、やっぱりピアノは高価でしたからね。 幼稚園の頃から、先生の弾くピアノの音色に憧れていた私は、それでも諦めることができず、幼稚園の2年間通った音楽教室で楽譜が読めるようになったことと、最後の発表会でブルクミュラーの“アラベスク”という曲をピアノで弾いたために家にあった一冊の楽譜にあった曲を、小学生の頃はオルガンでとことん練習しました。 ピアノを習っているお友達の家で遊ぶときは、その子がその時に習っている曲を必ず何回も弾いてもらって、耳で覚えて帰り、帰ったらそのイメージで練習するのです。 一番憧れていた『乙女の祈り』という曲も、高校生になってから自分で楽譜を購入し、自分で練習して弾けるようにしました。決して上手には弾けないし、今ではすっかり忘れてしまいましたが、ピアノは今でも習いたい気持ちがあります。 書道も、クラスに数人、習っていて上手な子がいました。 習っている子たちの字は、明らかに他の子たちの字と違っていたので、 (何が、どう違うんだろう?) 不思議に思った私は、習字の時間になると、上手な子たちの筆の使い方をじーーーっと観察しました。 やがて、筆の入れ方や払い方、止め方に特徴があることがわかると、それを真似するようになり、一度だけですが、習字の大会で賞をもらって、教室に飾ってもらえたときは、本当に嬉しかったです。 こうして、私はピアノも習字も、自分がどうしても上手になりたかったものは、ちゃっかりお友だちの力を借りちゃったんです。 昭和の時代。 今より物は豊かではなかったけれど、当時の自分を振り返ってみたときに、今の我が子たちよりも好奇心やハングリー精神は、ずっと旺盛だったような気がします。 少なくとも私にとっては、一生懸命できることが、楽しかったんです。 今、子どもたちが何か欲しがったとき、それが頑張っているものの道具だったりすると、多少無理してでも買ってあげたくなる自分がいますが、本音としては、 「物は、ちょっと足りないくらいの方がいいんじゃないかな?」 という気がしています。 今はもう、 「何かが欲しいから頑張る」 なんていう時代ではなくなってしまったのかもしれないけれど、自分が育った昭和時代や、もっともっと時代を遡って故人たちの偉業を顧みるとき、昔であればあるほど、人間たちの五感や才能が研ぎ澄まされていたみたいだなぁ~。 現代の子どもたちならではの素晴らしさは、これからどう発揮できるのかな? 人間たちも、時代とともに変化していくのですね。 ひなたまさみ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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