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カテゴリ:ひねもす過去
さてもさても。
三十路半ばも過ぎて、なにが「将来の夢」やねんと。(笑) けど、わたしは死ぬ直前まで将来の夢をみてたいなあーと思たりするので。 ばろんちゃんのとこで、こどもの「可能性」について考えた。 長男A、二男B、末娘・長女C。 この人たちの将来と、可能性。 健康に、無事にでかくなって、働いて、ご飯を美味しく食べて、人生を 楽しんで欲しいなあと思う。 それより細かい事は、あんまり考えられへんので、各自考えてもらいたい。 解散! と、ホームレス中学生の親父みたいな事を言うてしまいそう。 だって、かーちゃんキャパ狭いし、自分の事でいっぱいいっぱい。 可能性、ってたしかに沢山あるんだよなぁ。 ウンザリするほど。 人生の時間は限られているから、その中で良いものを選んでレールを 敷いてやるのは親心。 けど、それには親の覚悟もいるよね。 こどもの人生を、自分が自信を持って決める責任というか。 わたしはコレから逃げているのかもしれん、とも思う。 * * * * * * * * * * ここのとこ、うーんちょっと、と思うことがあって。 Aの忘れ物を担任から注意されて、で、なんか注意書きのリストっつーか お母さんもいっしょに頑張ってください!みたいなメモを貰ってきたんだよね。 熱心で良い先生だと思うんだけど、文章の語尾に「!!」みたいなマークが イチイチついていて、ヤだなあーと(笑)。 忘れ物が良くない事は解っているし、なるほど彼にもっと気をつけさせる事は 良い事だ。 でも、忘れてしまうことを執拗に責めないで欲しいなあと思ってて。 (実際、忘れてしまった事に気づいた時の彼は、5年生なのに泣き出してしまうほど ショックを受けるのね。) まあ、そのために「忘れない努力」をしなさいってなるんだけど、それが 「忘れてはダメだ」ってなられるのはちょっとねえ?って思う。 なんでそんなユルいのか、って思われるかもしれないけど。 わたしはAが忘れ物をしても良いと思ってるわけじゃないけど、忘れ物を しないために強迫的な気持ちを持って欲しくない、ってのが根底に あるからなんだよね。 強迫神経症の可能性を考えてしまうから。 忘れ物をしなくなってとびきり賢くなる可能性と、 忘れ物が気になって強迫的な思いに取り憑かれる可能性を、比べる事なんて できないんだけど。 でも、同じ「可能性」だとおもうんだよね。 だから、熱心な先生には悪いけど「親もがんばります!!」(←イヤミじゃないよ・笑) って、連絡帳には良い事をガンガン!!書いて、Aには 「まーそういうこともあるやなー。明日は忘れんようにしよかー」と 言う程度しかしてない。 けど、ビシビシと注意して忘れ物を無くすよう訓練してやれば、彼は もっと「普通の子」ぽくなる可能性があるかもしれない。 けど、その可能性は幸福を保障してくれるものではないしなあ。 ま、そんなことをいえば幸福を保障してくれるものなんて、ないんだけど。 * * * * * * * * * * * * ものすごく漠然としてるんだけど。 わたしは、わたしの明日がたのしみで、時間がいくらあっても、退屈でこまるとか 思った事ない。 何ひとつ、特技はないけど、やりたいことはたくさんある。 わたしの子どもたちも、そうであればいいなあと思う。 それは、職業がなんであっても、環境がどうであっても見つけられるものだし、 多少の妥協はあっても、楽しむ事はできるはず。 わたしが大事にしてやりたいと思う可能性はたぶんそこ。 わたしの将来の夢は、わたしも子たちもそういう気持ちを持ち続けられること。 かなあ。 どやろ? たぶんそやろ。(笑) さて、今日はオレガノを詰んで干してくるさー。 どっとはらいー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.06.28 13:11:20
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