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テーマ:赤ちゃんが欲しい!(9165)
カテゴリ:ひとりごと
少し落ち着いてきたので、流産について思うところを書き残しておこうと思います。
前回の更新では、みなさんにたくさんの励ましをいただいて、本当にありがとうございました。 私は今までのブログで、妊娠について、ほとんど書いていないので何を考えているかわかりづらかったと思います 本来のテーマと違いますしね。 そしてまだ前回の更新時には、あまり流産のことを掘り下げて考えたくなかったというのもありまして・・・ 今日は申し訳ありませんが、ちょっと暗いお話です。 今回、7/30に出血と高熱で総合病院で緊急受診しました。 高熱の原因がわからなかった為、インフルエンザででもあったら、という不安から、前日に行った産婦人科ではなく内科もある総合病院へ行ったのです。 診察の結果は、切迫流産と、腎盂炎の疑い、でした。 前日の産婦人科の診察では、胎児の心拍は見えるものの、胎嚢が小さめということでした。 が、その日の診察では心拍が私の脈の速さとほぼ同じということで、胎児の心拍なのか、母体の脈の動きなのかがハッキリしない・・・でも何とか安静にして流産の危険を減らそうということでした。 さらに腎盂炎から高熱が出ているので、そういう刺激から流産を誘発しないように、という意図もありました。 で、入院。 抗生剤、止血剤の点滴・・・安静・・・。 最初の3日位は全く熱が下がらず、安静にといわれずとも動けませんでした 2日目くらいからか、下痢が始まり・・・さらにつらい日々・・・。 ちなみに医師の診察無し。 なので3日目にさすがに熱も下がらず下痢も止まらず、で不安になり、看護師さんに頼みました。 「こんな状態で、赤ちゃんは無事なのでしょうか・・・?不安なので、先生に診察してもらえないでしょうか・・・」と。 ゼーゼー言いながら。 そして診察してもらったのですが、「心拍が見えないから流産になる可能性が高いけど、まだ100%確実じゃないから、週明けにもう一度診察して、やっぱり亡くなっているようなら、掻き出しておなかの掃除をしましょう」と言われました。 この時点で、私は涙がポロポロ出てきてしまい、止まらなかった。 自分でもちょっとおかしいくらいに、涙が出てきてしまって、コントロールできない感じ。 そのころやっと熱が下がって来ました。 翌々日にはようやく下痢も止まってきた。 自分の体のほうは、何とか楽になってきたというわけです。 診察の時、ドクターは本当はその場で流産の処置をしようとしていたらしいです、後で聞いたところによると。 でも私がポロポロ涙を流しているから言えなかったのか、と。 しかしこの時から週明けまで待つのは、精神的につらかった。 どうなっているのかわからない状況が続くわけですから・・・。結構泣き暮らしていました。 そもそも産科に入院しているのだから、当然といえば当然なのですが、妊産婦さんだらけ・・・なんですよね、病棟。 そしてほぼ毎晩・・・分娩室から産声が聞こえる。 そして毎日新生児室とママ達の待つ病室を往復する赤ちゃん達・・・。 普段ならかわいいし、う~んちっちゃ~いと思わずニヤついてしまう私ですが・・・今回は・・・見ていたくなかったです、正直言って。 単なるわがままなのですが、見てると必ず涙が出るから。 この病院に入院することになった時、ダンナは初めて超音波を見たんです。 そして、はじめて本当に子供が、と思ったらしい。 彼の顔がその時、嬉々としていたのを見ました、私。 なので、この診察後に話をした時も、 「でもまだ週明けまで望みはあるんだろ」と言っていたのですが・・・ 週明け8/3の診察で、やっぱりもう子宮の出口のほうに胎児が移動していっているので、流産だね、と言われ、その場で処置するか、翌朝するか、どちらにするかの選択を迫られました。 私としては、ダンナがその日の診察にまだ望みを持っていたことが気になっていて、一度ダンナに状況を説明した上で処置してもらいたいとお願いしました。 みんなその場でやっちゃうのでしょうね・・・。 なんか、私はできなかったなあ その日の夜、ダンナが面会に来た時に状況を説明して、ドクターからも説明してもらって・・・ じゃ、翌朝処置ってことで、という話になりました。 で、ダンナと少し話してから、面会時間を過ぎていたのでダンナを出口まで見送りに行きました。 じゃあまた明日・・・と言った瞬間 「なんか今、すごい出血した・・・かも」 私パニック・・・ ダンナ、パニック・・・「どうすりゃいいの」 とりあえず看護師さんを呼んで、病室へ戻り・・・ 出ていたのは血ではありませんでした・・・ 胎児そのもの・・・ ショックでした。 友人の話からも、出血が止まらずどんどん量が増えていき、あわてて産婦人科を受診したら流産と言われて処置・・・というのが普通の流産だと思っていたので。 ドクターからも、超音波の写真で、胎児の袋の形がどんどんくずれていくという話を聞いていたので、そうやって胎児が形を成さなくなり、流れるのだと思っていたんです。 私の場合は出血はずっとありましたが、通常の生理よりもはるかに少ない量が継続して続いている、という感じだったので・・・ いきなり「そのもの」が出てきてしまうとは・・・思わなかった。 翌朝検査をして、やっぱり出てきたというか、産んだ?のはキレイな形での胎児であり、さほど残留物も無いということで、処置無しで「完全流産」となりました。 その当日は、本当にショックで唖然としてしまいました。 結局検査後すぐに退院となったわけですが、その日からずっと、ふとしたきっかけで涙が止まらなくなり、いつでもどこでもポロポロ涙が出てきてしまうので・・・自分でも収集がつかなくて困りました。 ダンナも気遣ってくれて、いろいろやさしい言葉も掛けてくれたし、あれやこれや、楽しませようとしてくれていました。 ・・・でも効きませんね・・・。 流産してしまっても、身体はまだ妊娠している状態で、出産後の状態と同じだから、子宮収縮の痛みもあるし、相変わらず出血も続いているし、でなんかおかしい でもこんなに精神的にウツっぽく、涙止まらないとか・・・変だと思うんですよね。 単にホルモンバランスが崩れているのかもしれませんが。 今回の流産に関しては、胎児のほうに問題があった可能性が大で、母体の問題ではないと病院でも言われたし、事実母体の無理などからの流産は、ほとんどが妊娠12週以上だそうで、今回は当てはまらない。 そんなことも理解しているし、身近な友人知人に初期流産をしている人はとても多く(結構みんな自分からは言わないので、知らないことも多いですが)、そういう話もたくさん聞いてきていて、わかっているはずなんです、私。 頭では・・・。 でも心は・・・ついていくのが大変です。 仕事は今週お盆休みまで休ませてもらって、来週から復帰予定ですが、ちょっと不安です。 一時は、「他人の子の世話なんて、できるんだろうか、精神的に」と真剣に考えたほど、いなくなってしまった自分のベビーのことで頭がいっぱいでして。 大丈夫だとは思うんですけどね。 退院してから、気持ちの整理をしたくて、海を見たいとダンナに頼んで連れて行ってもらいました。 なぜか東京湾アクアラインの「海ほたる」。 本当にどこでも良かったといえば良かったのですが。 結局病院で、ポンっと出てきてしまったベビーを私は見ていながら、病院に置いてきてしまった・・・それも気になっていました。 どうなるんだろう・・・まさかゴミ箱・・・とか、考えたくないことを考えてしまいました。 だから、気持ちだけの問題だけど、心の中で海に流して、自分もお別れをしてきたつもりです。 運悪く、産んであげられなくてゴメンね、と思いながら、 一生それでも忘れないから・・・という気持ちを込めて・・・ 私は今までは、妊娠は自然にまかせておきたい、と思っていました。 だいたいの見当はつけていたし、そろそろ年齢的にもマズイな、という気持ちもあったので、できると良いな、と思っていたのは事実です。 でも今回のことがあって、やっぱりダンナも私も 「口に出しては言わないけれど、お互いにこんなにも子供ができたことを大切に思っていたんだ」 と認識しました。 私たちは結婚して9年になります。 夫婦を9年やってきたわけです。 かなりの紆余曲折がありました。 あまりのストレスで、精神的におかしくなっていた時期もありました。 私は何度も離婚を本気で考えました。 でも今回のことで、お互いがお互いに「家族」を欲していることを知りました。 「夫婦」から「家族」になりたいと思っているのです。 いつになるかはわかりませんが・・・ 心のすれ違いが多かった私とダンナですが、今回の件でお互いにいろんな気持を話し合うことができました。 亡くなったベビーが、私とダンナに与えてくれた、 「機会」だと思うのです。 その「機会」を無駄にしないように、これからの人生をどうやって過ごしていくべきか、きちんと考えていきたいと思います。 願わくば、私とダンナの心の傷が一日でも早く癒えますように・・・ そして亡くなったベビーが心安らかでありますように・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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