華氏911をみた。
昨晩、大阪で「華氏911」をみた。眠かった。映画から教えられることは少ない。ほとんど、事前に日本の良心的なメデアやネット配信の情報で知っていることで今回新たに知ったことはほぼない。さりとて、映画人の井筒和生がさもしいケチをつけているように無意味な映画だとも思わない。映画としては、かつてJudy Irving女史がつくってたDark Circle(1982)なんかの労作に比べるとスタイルは似ているが、相当手抜きだという気がしてならない。さはさりながらムーアがつくる映画にはアメリカに脈打つひとつの流れだということは確認しておきたい。Dark Circle: Nonfiction feature about nuclear weapons and power, told by those directly affected. 1983, updated 1991, New Yorker Films. Distributed worldwide in seven languages. Broadcast on PBS prime-time network series, "P.O.V.," won National Emmy. Producer/Director/Writer/Narrator. "Completely riveting," Roger Ebert.※1990年に全米で放映されエミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。それを受けた形で、日本でも「NHK特集」の枠でオンエアされた。日本未公開それに比べて、井筒のコメントはさらに眠い。映画とちゃうで、こんなん。“報道スペシャル”には勝たれへん、言うてんねん。取材していくのにプロの取材をしてないように思うねん。小泉さん見ても、何もびびることないと思います。たわいないドキュメントです。ブッシュは屁とも思ってないでしょうね。カンヌが熱狂したって・・みんなTVとか見てへんのかね?おれは熱狂してへんよ。(「華氏」のポスターに載っている自分の記事を見て)書いてないのにのっけられてる!おれ書いてないよ、これ。おかしいよ!×つけといて! 悪いが、自分はムーアの映画には金を出して二度みたことになるが井筒の映画を一度もみようと思ったことがない。いってみれば、映像の消費者としての「自分」は、映画としてどうか、とか映画として成立しているのか、という問題はどうでもいいと思っている。映画をみるという行動にそれほどの意味があるものか。「欲しい」か「欲しくないか」だけである。自分にとって井筒和生やその表現なるものは「欲しい」とも、意味があるとも思わないが、ムーアの映画。いまはとりあえずないよりマシという程度の意味は感じた。これは決定的な差だ。すこしは我々が欲しくなる映画をつくってからものを言え、井筒。21日の夜、最終上映にすら整理券がだされてフロアーを埋め尽くす観客をみてきた実感からいえばこの映画へのヒラの庶民の関心は尋常なものではない。映画として「正しく消費されていようがいるまい」が平素から稼げる映画をつくっているつもりの井筒は、他の稼げている映画を批判するのならば、ムーア以上に稼いでからモノを言えばよろしい。少なくともみにゆこうぜ、って思わせたムーアは間違いなく井筒よりも成功した映画制作者だろう。井筒、少しは日本の庶民や大人がとりあえず観に行こうと思うような映画を黙々とつくってみろ。