神の飛翔
昨日、土曜日にもよりの(といっても5キロは走っただろうか)整骨院に水をくれとポリタンク持参で出向いた帰りなんと自分の部屋の前に鷺が休憩しているのをまのあたりにした。思わずクルマから出るのを諦めて、車窓から眺めていた。奴らも、雪でへたばっているのだろうか?気を取り直した風で、ふたたび飛び上がった。その瞬間の美しさは息を呑むほどだ。とりわけ空中で加速するまでの、わずかな瞬間、空間を浮遊するホバリングの姿は神々しい。麻原彰彰の空中浮遊とは、わけが違う。大阪を離れて、雪深い地域にいるだけで平素観ることがないものを視る。手元のポリタンクだが、これは広口清潔水容器と呼称されるものらしい。ネットで購入するよりジャスコで買った方が遥かに安い。生活安全保障上、これは大切な投資だという気がする。樹脂は、白でなければいけない。それ以外の「飲料系」転用は、リスクとなる。なぜならば長期保存した際に、樹脂内部から飲料水に顔料流出をする可能性があるからだ。特定樹脂で、飲料用のポリタンクならば、6ヶ月の保管でも水質はビクともしない筈だ。ただし、開栓をした場合にはただちに全量廃棄して新鮮な水と置き換える必要がある。いうまでもなく、空気中のバクテリアである。さて、水もらいにボロクーペで地域を走り廻っているとまた拾いものをした。地元のTUTAYAが閉鎖するというのでDVDを放出している。あのスーパーハリウッドプライスとして1,500円売りをしていたシリーズが、さらに980円でバーゲンされているではないか。実は、映画「カサブランカ特別版」もこのシリーズで購入している。「カサブランカ」だけでもVHSを含めてソフトを5本持っている。品揃えは、まずまずであり価格と品質のバランスがいい。書店やビデオショップで売っている500円ものは、画質が悪く「銭うしない」だが、廉価版もこのシリーズは、けして悪くない。気に入ったものは、手元において何度も見るものである。それが本当の映画の愉しみ方というものだ。今日は、「薔薇の名前特別版」を980円で購入した。ご存知の方もおられると思うが、この映画の製作費とそのセットに蕩尽された意匠や、技巧は半端ではない。あの「三丁目の夕日」とは、対極的である。コンピューターグラフィックスをまったく使わずに、中世の美術工芸品や、建築物、日常雑貨にいたるまで歴史博物館に寄贈ができるほどの徹底した再現品、レプリカで埋め尽くされている。しかも、俳優は世界中から選りすぐりで集められたキャスティングで、顔は一切特殊メイクがされていない。おどろおどろした作品世界を、俳優たちの地の風貌でリアリズム追求したという監督のこだわりの成果である。監督は、あまり好きな方ではないがフランス人のジャン・ジャック・アノーである。まあ、おしゃべりな奴で作品とは別に作品の緻密かつ詳細な解説をアノー自身が行ってくれている。これが聞き応えのある内容で、日本のベンチャー事業者の社長さんたちはぜひ一度この監督の肉声に当たられるが良かろうと思う。彼は、フランス人でありながらハリウッド映画の人的資源をことごとく動員し、あまつさえ巨額の製作資金を引き出し、彼の自己中心的な作品製作に一切口ばしをいれさせず、しかも世界的規模でのヒット作品に「薔薇の名前」を押し出したのである。このDVDは、このアノー監督の作品解説のおまけだけでも980円の価値はあった。この人の仕事におけるcreativityの高さは、好き嫌いは別にしてこの国の勝ち組IT弁茶とやらの拝金的な売国趣味に比べて遥かに瞠目すべきものだ。さすがに一目置くに値すると思わずにいられない。「薔薇の名前」の、原作者は世界的な知性として知られるあの哲学者ウンベルト・エーコである。ウンベルト・エーコの著述によると、この原作「薔薇の名前」は映画「カサブランカ」の意味論的に謎めいた構造を、中世世界のミステリアスな謎解き譚に翻案したものだという。アノーが、ショー・コネリーを使うといいだした時、アノーの女房とウンベルト・エーコは仰天したそうだ。仇役の「異端審問官」をつとめたマーレー・エイブラハムはあの映画「アマデウス」ではチョコレート好きなサリエリを演じた。異端審問官は、実在の人物でベルナール・ギーという。彼を、映画でごみ同然の悪者に仕立てるというのが明快さの理由なのである。この辺の好き勝手が許される映画監督というのは、無理無体な裁量権というべきであろう。DVDの中で、アノーがそのあたりの強引さについて自己言及しているが、痛快である。実は、ベンチャー事業者は、このアノーのような幸運な権力に辿りつけるのか、否かが成否を分けるのだ。