国友鉄砲の里資料館
反射式望遠鏡の発明者はスコットランドのグレゴリーで、1663年に著書に発表された。このグレゴリー式反射望遠鏡を日本で最初に製作したのが、安永7年(1778)に近江国国友村(滋賀県長浜市国友町)で生まれた鉄砲鍛冶師 国友藤兵衛です。国友家は代々幕府の御用鉄砲鍛冶職を勤めた家柄で、祖先は美濃国関の刀鍛冶の血を引いていました。藤兵衛は天保3年(1832)、55歳にもかかわらず望遠鏡製作にとりかかりました。画像と文字のクリックからジャンプ買い物帰りの路上で、いつも見かける「国友鉄砲の里資料館」の看板だ。気がかりではあっても、つねづね通り過ぎていた。国友村。その起源は、なんだろう。美濃国関の刀鍛冶という出自からすると、近江の帰化人伝来の文化的後背とは少し違うのだろうか。ただ、長浜北部の国友村では、地元近江の砂鉄を原料にして鉄砲をつくっていたわけではないという。鉄砲原料の砂鉄は、遠く赤穂、島根から取り寄せていたらしい。鉄、雲、播磨ヨリ出ルヲ上トス、備中備後次、奥州仙台、安芸ノ広島又次、伯耆美作石見又次、日向産又次、但馬鉄最下品、……釼、播磨ノ宍粟郡(千種町)ヨリ出ルモノヲ最上トス、千種村ニテ出ル故千種鉄トモユウ、出雲ノ鉄最上品、伯耆、美作ヨリ出物次也、石見、出羽又次…… 国友一貫斎鉄砲が、種子島からご当地長浜北部へ届いた由来は相当興味を刺激する。出雲から敦賀を経由して、長浜へ搬送された砂鉄が、もっとも鉄砲製造に適していたという。これは司馬遼太郎が「街道をゆく」で手厚く議論したあの蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)の伝統が良質の鉄の調達に明るかったという意味合いなのだろうか。これが日本海経由で届いたという点でも、想像力を刺激するものが多い。技術が根を下ろすに際して、時の権力者につねに注視され江戸時代には国友村が「天領」であったなどをみれば、鉄砲の経済社会全般に与えた影響力の甚大さが伝わってくる。まず、その価格である。誰も訪れる人もいない、不便な資料館に一人で入館した直後大阪からやってきた老人が背中から声をかけた。「兄ちゃん、この鉄砲なんぼぐらいするもんや」確かに、すべての興味の前に当時の流通コストに関心が行くのはもっともな話だ。いや、爺さんの興味は「お宝鑑定団」的な意味合いなのだろうか。1543年、種子島に漂着したのは中国船だったらしい。異文化コミュニケーションも,きわまれり。どうしようもなく中国人乗組員と、種子島の村民は海辺の砂の上で必死に漢字で応酬したらしい。翌年1544年、2月にはすでに往時の将軍足利義晴の命で細川家の斡旋で国友村へ鉄砲が届き、その解析と再現実施が託されたらしい。「国友鉄砲鍛冶由緒書」に、そのように記されているらしい。実現確度から、さまざまな名工に託されたのだろうが国友村は、その上位グループだったのは間違いなさそうだ。1549年、織田信長が500丁の鉄砲製造を依頼したという。これは資料館のスライドでも、アナウンスされていたのであるが本当だろうか。織田信長の生誕は、1534年6月23日といわれている。わずか16歳で、500丁の鉄砲をオファーできるものか。とはいえ、わが国の歴史で鉄砲と織田信長の存在感は事実上不即不離のものがあると言わねばならない。実は、種子島家で価千金と軽く調達できたとも思えないが、一旦言えば千両。現在物価で1200万円弱か。資料館の掲示する、資料は少々素人眼にも怪しい。とはいえ、けして現在物価でも数十万円ほどのものではなさそうだ。となれば、額面どうりに信長が500丁の製造依頼を行った、というのであれば慧眼を通り越して神がかりである。今の世ならば、ライブドアの堀江貴文にもひけをとらないベンチャー事業者の資質充分である。「わしらには、手がでんわ」と、背中の老人が言う。言われなくとも、資料館に立ち寄るごときわれら暇人に手がでるものではなさそうだ。その後、信長が途轍もなく鉄砲獲得に狂奔したことはさすがに凄い。単なる新しもの好きではない。それは、この調達コストが如実に示していると私には思われる。が、しかし・・・天正4年、1576年。なんと大阪石山本願寺が鉄砲千丁をもって織田信長勢を撃退したという剛毅な記述がある。1570年には、本願寺門徒が、信長の軍勢と摂州野田福島銃撃戦を行って対峙したりしたという。信長の、軍事装備には本願寺教団の武装化とまったなしの平衡を目指さざるを得なかった背景もあるもののようだ。歴史の真相は、NHK歴史ドラマの皮相な描写では到底示しきれないもののようだ。本願寺側からみた織田信長我々が簡単に考えているほど、織田信長と鉄砲装備の政治方針は一本調子ではなかったのではないか。量産効果が生じた時点ですら、鉄砲一丁の調達コストは当時の足軽6~7人の年間報酬ほどの極めて高額なもので雇用対策や、財政政策を誤りかねないほどの「過剰投資」の様相もありえ、よほどの財テク手法などで事業外収入の補完ができなければたちまち財源不足。まかり間違えば債務超過に転じる可能性もありえそうだ。その事実は、つねに高い緊張感を権力者に突きつけた筈だ。軍事的天才とはいうものの、戦に勝ち続けることでキャッシュフローを維持し続けなければならなかったという点では、ライブドアの事業戦略と大差ないきわどさはあったのではなかろうか。「なるほど、兄ちゃん。わしらの出番は皆目無さそうや」と、老人は早々と退館した。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp