「一分」でよかった。
「武士の一分(いちぶん)」とはなんだろう。この映画の本質は、詰まるところ愛情物語なのだという多くの方々の指摘だ。ならば、武士道などと堅苦しいものを持ち込んでどうしたものだろう。そもそも日本の武士道など、どうせ中国古代の密輸品だ。知らないナィーヴな方だけが、無邪気にはしゃぐが江戸時代の武士の日常など映画で、キムタクが散々愚痴る程度の卑屈な代物。映画でもはやく隠居をしたいと毒見役に気乗り薄の三村新之丞が、本音を洩らすまでもない。仇が、たまたま武士だったから武士の流儀で決着したが藩主の眼からすれば「私闘」である。いさぎよくも何でもない。一寸の蟲にも五分の魂。蟲にすらある五分の魂。武士に、一分しかないのかいな、と半畳もいれたくなる。ここまでは、作品ユーザーレビューの歴史趣味者ら特有の「野暮」におつきあいだ。もし、あの映画が単なるリンチならばタイトルに「武士の一分」と。東大法学部出身の山田洋二監督が掲げ難かっただろう。映画をみながら思い起こしたのは我が一統にとり分家にあたる、近松門左衛門の作。「堀川波鼓」だ。映画化されているが、まさか、山田洋二監督があの名作「夜の鼓」をみていないはずがない。山田洋二、助監督時代の話題作。脚本・橋本忍、新藤兼人、監督・今井正、美術・水谷浩、俳優陣は、三国連太郎、有馬稲子、森雅之、金子信雄、東野英治郎、菅井一郎、殿山泰司、奈良岡朋子、日高澄子など、そうそうたる顔ぶれ忘れもしない。あの映画は、哀しかった。武士でもあった近松門左衛門は小倉彦九郎の妻を手打ち成敗せねばならぬ悲痛さについてはいくらでも身につまされる思いで推敲もでき、反芻もしたことだろう。言わずと知れた姦通罪は、当時の実定法なのだ。帝国憲法ですら処罰規定があり立派な犯罪。大石良雄やわが祖近松甚三郎が仕えた近松行重らの討ち入りだけが敵討ちではない。この映画の三村新之丞とて立派に、女敵討ちとしておそれながらと訴えれば、盲人とても島田藤弥ともども妻加世を(第三者立会いの下であれば)密会の現場に乗り込み重ねて叩き斬ることも能うほど、筋道の通し方もあった筈。もっとも実勢では、七両二分の慰謝料を取ってチョンというのが圧倒的にポピュラーな収拾策だったようだ。これは余談。ここで、三村新之丞は超人的なブラインドフューリーぶりを発揮する。つまり、一切公にせずに妻を一旦離縁。これは温情だと加世には痛切に伝わった筈。そこで、仇の島田藤弥に意図して決闘を申し込み、わざわざ私闘へ持ち込んだのである。あえて世間の眼から離脱しての、尋常なれば勝ち目のない決闘である。なにしろ仇討ちの当事者は、盲人。まさかの視力障害者なのだ。ここが秀逸な命懸けの考案だったと思う。なぜ、このような不利で損な思案で私闘へ持ち込んだのか。それは単純な復讐心ではありえない。これは辱めを受けた妻加世にとっての仇討ちでもあったからだ。そして、あの「堀川波の鼓」の悲劇を辛くも回避する決死の背負い投げだった。「武士の一分」は、このような常人ではなしえない選択において陶冶された何かだ。五分の魂では、最愛の妻の辱めを濯ぐことはできなかっただろう。夜の鼓製作=現代ぷろだくしょん 配給=松竹1958.04.15 11巻 2,600m 白黒 ------------------------------------------製作 ................ 山田典吾 製作補佐 ................ 荒川大 監督 ................ 今井正 助監督 ................ 菊地靖 猪股堯 脚本 ................ 橋本忍 新藤兼人 原作 ................ 「堀川波の鼓」 近松門左衛門 撮影 ................ 中尾駿一郎 撮影補佐 ................ 松田忠彦 音楽監督 ................ 伊福部昭 邦楽 ................ 豊沢猿二郎 望月太明吉 美術監督 ................ 水谷浩 装飾 ................ 荒川武 録音 ................ 空閑昌敏 照明 ................ 平田光治 照明補佐 ................ 浅見良二 編集 ................ 河野秋和 衣裳考証 ................ 上野芳生 道具考証 ................ 高津年晴 特殊技術 ................ 岡田明方 配役 小倉彦九郎 ................ 三国連太郎 妻お種 ................ 有馬稲子 宮地源右衛門 ................ 森雅之 政山の妻おゆら ................ 日高澄子 お種の妹お藤 ................ 雪代敬子 女中おりん ................ 奈良岡朋子 東恵美子 祖母きく ................ 毛利菊枝 黒川の妻なか ................ 夏川静江 小倉文六 ................ 中村萬之助 磯部床右衛門 ................ 金子信雄 黒川又左衛門 ................ 東野英治郎 太田四郎兵衛 ................ 菅井一郎 間瀬平馬 ................ 加藤嘉 政山三五平 ................ 殿山泰司 米林外記 ................ 柳永二郎 成山忠太夫 ................ 松本染升 和久田市之進 ................ 浜村純 仲間又平 ................ 島田屯 草薙幸二郎 夏田隆史 利根史郎 五十嵐康雄 原田甲子郎