森喜郎は何故キングメーカー顔をしていたのか?
2001年1月 1月1日 ギリシャがユーロを導入。 国際科学技術博覧会(1985年)で投函された「ポストカプセル郵便」(300万通以上)が、全国規模で配達された。 1月5日 - Linux 2.4.0 リリース。 1月6日 - 中央省庁再編が行われ、日本の行政機関はこれまでの1府22省庁から1府12省庁に再編された。 1月20日 - ジョージ・W・ブッシュがビル・クリントンの後を継いでアメリカ合衆国大統領に就任。 2月 2月9日 - ハワイ沖で愛媛県宇和島水産高の実習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦グリーンヴィルと衝突して沈没、9人が行方不明に(えひめ丸事件)。 2月22日 - コロンビアで矢崎総業の現地法人「矢崎シーメル」社の日本人副社長がコロンビア革命軍に誘拐される。約2年9ヵ月後に遺体で発見。 3月 3月24日 - Mac OS X バージョン10.0、発売される。9月25日にはバージョン10.1リリース。 4月 4月1日 - 海南島事件。米海軍電子偵察機EP-3Eが中国軍機と接触し、中国南部海南島飛行場に緊急着陸。 4月26日 - 小泉純一郎が日本の第87代首相に就任した(第1次小泉内閣発足)。 6月 6月1日 - ネパール王族殺害事件 6月11日- オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯ティモシー・マクベイが薬物により処刑される。 6月27日 - 国際司法裁判所が1999年に米・アリゾナ州で行なわれたドイツ人の処刑は裁判所の処刑延期判決を無視したものであり不当であるとする判決を下す。 7月 7月13日 - 2008年夏季オリンピック開催地が北京に決定。候補に挙がっていた大阪市は一回目の投票で落選。 7月23日 メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリがインドネシア大統領に就任。 河内で、ASEAN外相会議開催 7月24日 - 北朝鮮の金容三鉄道相が訪ロ。 8月 8月3日-8月12日 - 世界陸上エドモントン大会(日本時間では4日から)。 8月13日 - 小泉首相が靖国神社を参拝。中国・韓国など激しく反発。 8月16日-8月26日 - 秋田県で秋田ワールドゲームズ2001が開催(秋田ワールドゲームズ2001 9月 9月9日 - 2001年9月9日問題 9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件 4機の航空機ハイジャックによる、米国に対する大規模同時多発テロ事件が発生。 旅客機2機がニューヨーク世界貿易センタービルツインタワーに衝突し、ビルは倒壊した。死者3,000人以上。 9月28日 - 日テレのズームイン!!朝!・ジパングあさ6・あさ天5放送終了。 10月 10月5日 - アメリカフロリダ州の新聞社に炭疽菌が送りつけられる。以降も同様の事件が続く。 10月7日 - アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻開始(タリバン政権に対する戦争)。 10月23日 - iPod発表。当初はMacintosh専用であったが、革命的なデジタルオーディオプレーヤーとして話題になり、ヒットする。 10月25日 - Microsoft Windows XP OEM版発売。リテール版は11月16日発売。 11月 11月12日 - ニューヨーク東部のクィーンズ地区に旅客機墜落(アメリカン航空587便墜落事故)。同時多発テロ直後のため厳戒態勢を敷いていたが、先行旅客機の乱気流による事故であることが判明。 11月26日 - 北朝鮮の平壌放送が平壌市内の電気機関車工場が2001年の生産目標である100台を達成する見通しと報じる。 12月 12月11日 - 中国のWTO(世界貿易機関)加盟発効。 12月22日 - 九州南西海域工作船事件発生。 12月23日 - アルゼンチン政府が対外債務の一時支払い停止を宣言。 あの意味不明の小泉ブームが始まる直前、「鮫の脳みそ」こと森喜朗のスキャンダルで沸騰していたことは記憶に明るい。テレビも一斉に森内閣叩きを行っていた。その挙句に、宇和島水産高校の事件だ。あの時点で、自民党は崩壊寸前。壊滅的打撃を被っていたわけで、今回の政権交代などむしろ遅きに失するぐらいのものだと思われる。今回の民主党政権奪取劇は、ようするに戻して戻すことのできない日本の状況を2001年時点に「復古」するような調整動作だと大状況では読める。それが左程簡単なことではないことは当然ではあるが、まずはそのように総括できるだろう。しかしこの8年のロスは大きい。無論、森喜朗以前にも歴代親米盲従朝貢政権により日本の国富は国外へ散逸していたのは間違いないが、森=小泉=安倍=福田=麻生と騙され続けたために国費の濫費は未曾有の規模となり今日に至っている。その意味でも、森喜朗の不思議な魔術的な復活には「謎の焦点」があると思われる。2000年4月2日 午前1時頃、小渕首相が順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院。 午前2時頃、古川首相政務秘書官から青木官房長官に首相入院の連絡。 午前6時頃、主治医が青木官房長官を訪問。 午後0時頃、緊急事態を受け、青木、森、村上、野中、亀井の五人が赤坂プリンスホテルで会合。首相臨時代理の設置や後継問題が動き出す。 この第一次森内閣の「黒い揺籃」である五人組。その中でも、注目すべきは野中広務という存在だろう。後にアメリカからの外圧で失脚するまで、真の意味でキングメーカーのポジションを占めていたのは森ではなく、むしろ野中だった筈だ。森が関西にやってくると、かならず顔を会わすスポンサーがいた。残念ながら、総理総裁になった直後あわてて電話をいれている。「誠にすみませんが、首相在任中にはお会いできません」いうまでもなく闇の人脈だ。これは自民党大阪府連では、常識。この森の関西の世話をかってでていたのが一家スキャンダルまみれで有名な大阪の元参議院議員事務所。こちらの元参議院議員の親分はしみったれているからその子分らは写真週刊誌にこのあたりのスキャンダルを漏らしてアルバイトをしていたのだ。この時期、やけに森喜朗のスキャンダルが頻出する。叩けばほこりまみれなのだから仕方がないが、その元議員秘書じつは与党にも大きな影響力のある某巨大カルトの「埋伏」だったりする。そんなインサイダー情報レベルのつげる森喜朗のスポンサー。その正体は、なんと! かつて暴力団抗争で死刑求刑まで受けた過去のあるバリバリの本物だった。辞任必至の森喜朗が、なんとゾンビー的復活を遂げることができたのは、あの加藤の乱の封殺を野中広務がやってのけたのと宇和島水産高校の事件を契機に、呆れ返る日本売りを対米密約し、その実行部隊に小泉純一郎、竹中平蔵を据えたことだろう。ご存知のとうり野中広務と竹中平蔵は日本の広域団体にもっとも多数派を輩出していることで有名なあの巨大な階級のご出身だ。ワシントンポストの記事に暴かれるまでもなく野中は京都府の綾部、竹中は和歌山と地域は違っていてもそれぞれ貧困を最大の武器に巨大勢力を政治力行使にフルに活用した。あの鈴木宗男だって、北海道の食肉系。雪印ルートで野中広務の子分に辿りついた。この勢力とアメリカとの同伴と離反を読み解かねば日本の巨大債務の発生因も掴めはしない。関西で起こる大型の経済事件には、たいてい同和か在日がからんでいる。最近で有名なのはハンナンの浅田満元会長で、彼は解放同盟の地方副支部長だった。イトマン事件の主犯だった許永中も、同和対策事業に食い込んだことが裏社会でのし上がるきっかけだった。そしてこうした事件には、組織暴力がからんでいる。かつて山口組の構成員の7割は被差別民だといわれた。しかし差別によって正業につけない人々が、こういうやり方で生活を支えようとしたのは、ある意味では自衛手段だった。問題は、それに対決することを避け、金でごまかしてきた役所の事なかれ主義である。2002年に「部落問題は基本的に解決した」として国の同和対策事業が打ち切られた後も、自治体では同和利権が存続し、奈良のように解放同盟が土木事業などを仕切ってきた。これは解放同盟が組織を維持するために差別語キャンペーンのような形で新たな問題を作り出し、行政がそれに迎合してきたからだ。しかし解放同盟の政治力の源泉だった社民党が凋落した今、同和事業の見直しは不可避である。メディアも、この問題から逃げてきた。ほとんど解放同盟のいいなりに差別語が追加され、「カトンボ」や「四つ足」(いずれも一部の地域で部落民を示す隠語)まで放送禁止になった。「片手落ち」や「足切り」のみならず、最近では「身体にかかわる比喩はすべて禁止」という状態だ。このタブーを見直すと同時に、同和利権の実態を明らかにすることが彼らの責任だろう。追記:NHKは、就職差別で有名だった。私が就職したころも身元調査をしており、実家の近所の家まで興信所が行って、奥さんが驚いていた(今は禁止)。人事担当者は「NHK職員には部落出身者はひとりもいない」と誇らしげに語っていた。メディアの側にもこういうやましいことがあるから、解放同盟に対決できないのだ。IT & Economics池田信夫 blog