田中龍介ジャーナルに「学ぶ」2
だが筆者は同じ現場を取材していて、大メディアの報道には違和感を覚えて仕方がない。 ほとんど全ての事業で俎上に上るのが、天下り官僚による膨大なムダ使いだ。国の補助金事業は、幾つもの独立行政法人(独法)や公益法人を経てやっと事業者本人に渡る。「中抜きはどれ位(金額)あるんですか?」と仕分け人が再々追及しても官僚は答えない。 420万社ある中小企業を支援する事業のはずが、昨年融資を受けた企業はわずか800社という実態が、明らかにされた。補助金の流れを辿ると、天下り法人に落ちた金額の方が企業に落ちた金額よりもはるかに大きい。役人に食い物にされ国が沈んでいく構図が改めて白日の下にさらされた。 仕分け人が「これじゃ、中小企業を支援するんじゃなくて、天下りを支援する事業じゃないですか」と厳しく指摘した。官僚は反論できなかった。WGの判定結果は削減だった。 それでもあるテレビ番組は問題の『中抜き』には一切触れず、「補助金でA商店街はこんな恩恵を受けてきた」「補助金が削減されるとB商店街は困る」と報じた。 番組に出演する有識者やジャーナリストは、ほとんどが「税金の使い途が透明化されることは良いこと」とコメントする。だが映像は「仕分け人が一刀両断に斬りまくる」という作りだ。 中小企業支援をめぐる経産省の予算要求に限らず、大概の省庁の事業についても似たような作りだ。視聴者が「仕分け人というのは随分と乱暴だな」と感じるような映像構成になっている。 なぜ大メディアが官僚の肩を持つのか納得させる光景を時々会場で見かける。説明に来ている官僚はベテランだ。省庁詰めの記者との付き合いは長い。ヒアリングを終えて取り囲んだ記者が社名を告げると、「○○さん、元気?」と先輩記者の名前を挙げるのだ。田中龍作ジャーナル#「事業仕分け」伝える大メディアの姿勢民主党の肩をもつわけではないが、これまで日本の巨大官庁にメスをいれるどころか情報開示に終始反動ぶりを演じてきたのは巨大マスコミと報道機関、新聞各紙だ。「事業仕分け」で進行するのは、この我々の眼にこびりついたウロコのような腐れ縁というものとの決別だと国民は覚悟しなければならない。それはいま先端のメデア世界のように語られているTwitterでも同じことだ。冷静に観察していると、Twitterの内部にもすでに党派的なクラスター(意見集団とでもいうべき徒党)が配置されている。彼らにはフォローと呼ばれている追随者やら支持者やら正体の分からないものが場合によっては数千人もついている。初めて参加した者は著名人たちの発言をひたすら読むのだが、特定の傾向のある意見に怒涛のように賛意がつけば抗弁しがたくなるのも道理。どうかんがえても理不尽な内容の発言を著名人が実行していてさえも異議申し立てすれば、たちまち訳のわからないフォロワーが攻撃を仕掛けてくる。この構図は、2ちゃんねると同様だ。開かれたメデアだと言われているTwitterでも、けして油断はできない。彼らは、なにかといえば情報という。しかし情報とは別の呼称をいえば所詮「キャッシュフロー」なのである。