ボードレールと夕凪。
本日も、おそらくは明日も、明後日も特筆すべきことは何もない。何もないということはないのかもしれないが、決まった時間が、決まったように流れ決まったことを片付けているうちに日が暮れるという日々が続いている。いや、決まったことなど何もないのだが、あらかじめ決められたように時間が過ぎ去ってゆくのである。それは、刺激的でわくわくするような時間ではないが、悪くはないとおもう。人生にはそういった夕凪のような時間が必要なのだ。凪の後には、風がやってくる。昨晩は雪谷道場で二週間分の汗を流す。稽古着を絞ると、バケツ一杯ぶんぐらいの汗が染み出そうである。それでも、ダイエットにはならない。軽い付加を長時間かけるような運動が必要なのだろうが、空手は正反対である。年寄りがするものではない。それでも、俺はやっている。年寄りの自覚が足りないのである。土日は、昭和医大の空手部合宿。師範に同行して、現地で指導し、審査も行う。合宿所は、富士山のふもと、富士急ハイランドの近くにあるので涼風吹き抜ける風光明媚な場所である。だから、どうだというわけでもない。一年に一度、そこを訪ねて、学生さんたちと汗を流す。毎年、同じ顔と違う顔と出会う。空気が乾いていて風があれば、夏も苦にならない。本格的な夏はこれからである。夏が来ればすぐに秋の気配が漂い始める。Adieu, vive clarté de nos étés trop courts !いつも、夏の初めになると、このボードレールのなんともいえない一節を思い出すのである。フランス語でではなく、誰かが翻訳した日本語で。それはなかなかの名訳であった。直射日光を浴びて汗をかきながら、俺は毎日道玄坂をのぼり、百軒店の露地を入り名曲喫茶ライオンの決まった席まで通いつめたことがあった。もう何年も前の話である。渋谷の駅前にはもうひとつクラッシック喫茶らんぶるがあった。こちらは、待ち合わせに使った。どちらも、煙草の煙が漆喰を薄茶色に染め上げた心落ち着く場所だったからだ。どちらの店か忘れてしまったが、薄暗い便所の壁にその詩は書きつけられていたのである。さらば、つかのまの、われらが激しき夏の光よ最近では、もうボードレールを読む若者はあまりいない。ましてや、便所の落書きに、こんな詩を書き付けるやつはほとんどいないだろう。