カテゴリ:人生
身体中の血という血が逆流しているようだった。 身体が急に冷えたようにも、 逆に熱を持ったようにも感じた。 私の思考は停止しかかっていたが、 それでも、何とか普通を装って席へと案内したように思う。 この商売をやってて良かったと思う。 もし私がこの商売に携わっていなかったら、 私はあそこまで冷静を装い、尚且つ、 それまでと変わらない笑顔で対応出来たか分からない。
席の準備を終え、私は必要最低限の挨拶をした。 『今日は、こんな場所までようこそおいで下さりました』 私が深々と頭を下げ、謝意を表すと、 奥様は今日、勤め先の忘年会があったこと、 お連れさんは勤め先の後輩であること、 そして息子さんには止められたが自分の意思で(酔いも手伝って) 私の顔を見に来たこと、を口早に述べた。
私はグラスに気を配りながら相槌を打った。
『いっぺん、顔見たかったんよ』
私はどう反応していいか分からず
『そうですか』
と、わけの分からないことを言ってしまった。 相変わらず、自分の身体が冷えたようにも熱を持ったようにも感じた。
奥様は続けた。
『あんたが若くていい女で良かったわ。 私は昔からもてる男やないと嫌やったから』
私をじっと見据えた。 少し怪訝な表情になったように見えた。
『いい男やったやろ?』
私はまたもやなんと答えて良いか分からず、無表情で
『はい』
とだけ答えた。
この返答が奥様の気持ちを刺激してしまったのだろうか。 そこからはあからさまに、二人の思い出話や昔の彼女の話、 私と付き合って、ボスが帰って来なくなってからの自分思いに終始した。
私は平静を装い、 奥様の話を神妙な面持ちで聞くお連れさんたちと同化するように、 でも視線は誰とも合わさないよう、顔を少々俯け、 節目がちに視線をテーブル上へやり、 気配を最大限に殺して相槌だけを打った。 身体の温度は上がり下がりを続けていた。 私の不要な発言は避けなければと思った。 私とボスの思いや生活、 ましてや私の意見を聞きにいらしたわけではない。 どう考えても、常識的に責められるべきなのは私だ。 ボスがいない今、 奥様の思いのたけをぶつける相手は私しかいない。 奥様の立場を考えればやり場のない思いは私に向けられて当然なのだ。
甘んじて受けようと思った。
しばらくすると、お連れさんの一人が涙ぐんで 『わたしやったら、耐えられんわ!』 と言い、お絞りで涙を拭った。 空気が一瞬凍りつき、止まった。 店内の賑わいが別の世界のようだった。 が、私にはどうすることも出来なかった。
店内の状況を無意識に見渡そうと顔をあげた。 気付くと三人の視線が私に向いていた。 刺さるようだったが、 甘んじて受けなければならない。 ボスのためにも、奥様のためにも、 ボスが残した私の子供のためにも、 それは避けては通れない、私の大事な『仕事』なのだと思った。
全ては私が受けよう。 ただそれだけを考えていた。
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