退屈なので昔のhpにかいた
私の住宅屋への道のりを
何回かコピペシテミヨット
今回は第一回
『卒業後わたしは』
1、ゼネコン→設計事務所の経緯
ゼネコンは株式会社★★★という会社でした。
関西の会社でした。
就職会社決定のときは忘れられません。
1982年夏、ゼミのS教授に呼び出されての会話。
S教授 『オオシマクンは、関西にある★☆★に行かないか?』
私 『はあ』
S教授 『求人がきているのだが、それをみると
どこそこ の求人内容が合っているかと・・・』
私 『どういう求人だったのですか?』
S教授 『どうって・・・(笑)
とにかくお前に合ってるから・・(笑)』
その後就職担当のX教授に合って
私 『S先生に★☆★はお前に合ってるといわれたのですが、
どういう意味でしょうか、わかりますか?』
X教授 『はははは、★☆★の就職担当さんが私に言ったのは
”とにかく元気な人をお願いいたします”
ということだったのだ』
職場の人間には恵まれました。
結構かわいがってもらって、なおかつ名古屋へ
週末に帰る新幹線代もありがたく、
4人で何時間も向かい合って座っているうちに・・・
(こんなん書けないか!)
仕事は毎日鉄筋の本数を数え、配筋写真を撮り、
コンクリートのミキサー車の台数を数え
、現場でトラブルがあると
最初にすっ飛んで行く役目でした。
周りに恵まれて楽しい思いが多かったのですが、
大きな会社ゆえに建物全体部分に係わるという実感が
無かったのでしょう。
考えてみればお客さんの顔が見えない仕事に
達成感が無かったというのが本音でしょう。
そして実務経験が2年過ぎ1級建築士の受験資格が
できたことも手伝ってか、
お客様の要望と自分の提案が
ぶつかってもいいから、結果
”良いものができたね”
と直接お客様に言われること仕事をしたいと
思い始めてそれには設計を学び
設計士としての仕事がしたいという思いが
だんだんと沸いてきたわけです。
そして若き私(当時26歳)は入社2年で
『私はこのままではいけない』
と衝動的に退社を決意。
就職のお世話をしていただいた大学にも
連絡しないで決めた馬鹿者でした。
先に転職先を決めるわけでもなく、
名古屋に帰ってきた私は
早速S教授に謝りに学校へ行きました。
私 『すみません、折角推薦していただいて入った会社を
2年で辞めてしまいました』
S教授 『そうか、今後はどうするつもりだ』
教授は怒るわけでもなく淡々とつづく会話。
私 『実は、まだ何も決めてないのです。
設計の勉強をしたいなと
漠然と思っているのですが・・・』
S教授 『オオシマクン時間あるか?
2期生で設計事務所を開いている先輩がいるが
人が欲しいといってたが、逢ってみるか?』
私 『は、はい、
(こんな展開になるとは、
心の準備が全然してなかったけど、これも流れだ)
お願いします』
S教授はメモをめくり、おもむろに電話を掛けだした。
こういった経緯で設計事務所に入所し、それからは
勉強、勉強の嵐が私を待ち受けていたのだった。
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