|
カテゴリ:きょうびの民主主義
昨日発送されたという裁判員通知。
残念ながらハズれたもようで、おいらのところには届きませんでした。 ついに始まる裁判員制度。 これって、司法改革の流れのなかで生まれてきたのだけれど、ほんとーにそうなの? えん罪事件でも、「だって国民が判断したジャン」ってことにならないの? 素人がかかわったところで、プロフェッショナルの裁判官に誘導されれば、裁判官の判断にお墨付きを与える意味しかない? これって、結局裁判官の責任逃れちゃうん? 他方、刑事訴訟の当事者である検察官はどうだろう。 罪に当たると公訴した検察官。不本意ながら無罪判決がでても、「だって国民が判断したジャン」と上訴を断念する言い訳に使える? はぁ?真実?犯人が誰かなんて、知ったこっちゃないサ なんてね。 スイスイス-ダララッタ~♪とテキトーに処理されていったら、国民の基本的人権は置き去りかい 刑事裁判、それも凶悪犯罪にかかる事実認定の段階で裁判員がかかわるとか。 刑事事件は二時間ドラマや推理小説ではない。 事実認定の段階で、事実や証拠を見なければ判断できないとすれば… 血の付いた包丁 血まみれの死体 バラバラ事件で切り落とされた掌 屋上から突き落とされた死体 パックリ割れた頭蓋骨 飛び出した脳味噌 …直視できないヒドイ事実を眼にしたとき、健全な感覚をもった一般国民は落ち着いて裁判にかかわれるのか? ムリムリ。 少なくともおいらは耐える自信ない。 純粋培養裁判官に通じない巷の常識的感覚。 裁判官は、前回の口頭弁論で当事者が言ったことを覚えていない。 裁判官は、一生懸命書いた準備書面を読んでいない。 行政が相手なら、はじめから結論は決まっていて行政有利に判断する。 そんなことを、民事訴訟を経験して思うのだけれど。。。 国民の健全感覚を裁判に反映するとすれば、刑事事件よりも順序はむしろ民事事件からでしょう。 刑事裁判、しかも凶悪事件にかかわる裁判員制度。 国民の意思とは別のところで、唐突に導入されるような気がしてなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/11/29 10:56:53 PM
コメント(0) | コメントを書く
[きょうびの民主主義] カテゴリの最新記事
|