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カテゴリ:仕事(看護師)
書こう書こうとは思っていたもののなかなかかけずにいました。
最近、拍車をかけて忘れっぽいので、退職したときの気持ちを記しておきたいと思いました。 4か月たってるので、そして目まぐるしい環境の変化があったんで、すでに気持ちが薄れていますが。 中部で働いた10年間は振り返ってみると自分にとって大きな財産となりました。 いざ退職するとなるとさみしくてさみしくて、、、 一緒に働く人たちとのわかれが本当にさみしかったです。 全国規模のまあまあ大きな組織なので、しがらみというか、すぐにぱっとかえられないもどかしさというか、よくないしきたりや関係もあって、それが結構嫌でした。 でも教育体制が整っていたり、福利厚生がととのっていたり、知識や経験が豊富な人がいたり。 そこで10年働くうちにたくさんのことを学ぶことができた。 入職当初は27歳。循環器・心外病棟でこってりしごかれました。 慢性期の病院から転職していたので同じ経験年数でも出来具合が全然違って、感染とか安全の知識も少なくて、病棟のボス的存在にはあまり好かれずだけど気にしないように自分が成長できるようにがんばりました。ほめてあげたい。心臓は人間にとって大事な臓器なので、今となってはここでしっかり学べて本当に良かったと思う。 そういえばボスに一度はむかったことがあって、 病棟で仲のいい子ができたんだけど、 その子に私と一緒にいるから仕事をきちんとやらないのかとか言ってきてさ、さすがにそれは許せなかった。つらくてもいい加減に仕事したことなんてないもんで、そこは聞き流せなかった。 ボスにそう言ったら、私そんなこと言った?なんて言ってきて、なんじゃそりゃと思ったね。 ずっと苦手意識があったけど、退職するときは同じ委員会でさ、病棟が離れてもかかわりがあって、やめることを話す機会があったから、3月末で退職するんですって話したら「皆辞めていくからさみしくなる」なんてこと言ってくれて。 苦手だったけどかかわることを辞めなくてよかったなと思った。 それから子供を2人産んで、育休とって、復帰してからは糖尿病と小児科の病棟に配属された。 ここでもやはりくせの強い大先輩がいましたね。 どこでもいるなーなんでよく言うけどほんとよ。 私が配属されたときにはその人に支配された世界ですごく違和感を覚えた。 気色悪かったね。今時こんな世界があるのかと。 その時には私も30歳超えていたし、循環器の経験があったのでせっせとがんばったら認めていただけたけど、後輩がしごかれているのを多々見たけどなかなか救えなかったことがつらかった。 先輩がきつくてやめていく子は少なくありませんでしたね。 どうしたら救えるのか、とか、よく考えてた。 けど自分も子育てしながらで時間も限られていて。 話しを聞いたり、一緒に仕事したときは成長できるようにかかわったり、味方だよ~味方だよ~と言ったり、もう無理やめるっていう子には引き止めたりせず前向きに次に進めるように話したこともあった。 結局そこのなにがいけなかったのかというと、その支配してる人に従った先輩たちがいかんかったと思う。他の人も見て見ぬふりというか、誰もおかしいということを指摘しなかったこと。 もちろん私を含めて、、、。 そういう環境が好転したのは、2年たった時に病棟の科がシャッフルすることになったから。 がらりと人が入れ替わったから、そういう変なしきたりがおかしいおかしい言う強い先輩が現れてね、結局支配してた人は教員になると言って退職していきました。 しかし、新しくきた整形外科の強い先輩たちがまー強いのなんの。 うーん、言い方がきつい人が多くて、私も一回泣いてもうた。 でも悪気があるわけじゃなくてそういう言い方をしちゃうだけで、思ったこと言ってるだけなんだよね。 で、それに気づいたら、全然大丈夫になったね。 むしろもっと質問するみたいな。 私の心もだいぶ強くなってきてるよね。 でもそれが好転してうまく付き合っていけるようになったね。 あとは師長さんとの関わり方とか、スタッフに挟まれたりとか、きっつい仕事とか、かわろうとしない医師とか、看護師任せの医師とか、かまってほしい医師とか、いろいろあったけど、悪いところがあればいいところもあるので、そこを見つけながらうまくやっていけたなと自負しています。 送別会では泣いてしまいました。 退職するときには後輩ばかりで、後輩ってほんとかわいいよ。 私は褒めて育てるタイプなので神様だと言ってくれる後輩もいました笑 同じように子を持つ人とは意気投合して生活の知恵を教えあったり愚痴りあったり。 毎日一緒に食堂いってしゃべるだけで元気出た。 10年間、本当に充実した日々を過ごせたなと、振り返ってみて気付きました。 大変だったけどがんばってよかったと思った。 あと一番感謝してる人がいます。 2人子供を産んで育休明けで復帰したときすごく不安でした。 けどそのときの師長さんがとてもいい師長さんで。 母のようにすべてを包み込んで受け入れてくれる師長さんでした。 子供が小さいから熱をしょっちゅうだして休むことが多くて。 きつい先輩にはパートにしたらとか病児保育に預けたらとかいわれて正社員で働くことを辞めようかと思ったけど、師長さんは私がどうやって働きたいのか聞いてくれて、子供はそういうものだから休んでいい。働きたいなら働いてほしい、いてくれるだけで後輩たちのささえになるからと言ってくれて。 本当にうれしかったです。 私はもし上の立場になることがあればそんな上司になりたいです。 いまは子供も大きくなってきて熱を出すこともほとんどないけど、あの子供の熱で休むもどかしいきもちを忘れずに、また誰かの支えになっていきたいと思います。 師長さんには退職のときに手紙を渡しました。 また6月から他の病院でパートで働くことになったことも連絡しました。 本当なら師長さんのいるところで恩返しをしていくべきだと思うけど、 自分のやりたい看護をやるために違う病院に就職したことを話しました。 師長さんは理解してくれて、また看護師として働くことをうれしく思ってくれました。 感謝してもしきれないですね。 自分も違う病院に就職したからには簡単にあきらめず、今までの経験をいかして、たくさんの人をいい方向へ導いていけるようにがんばります。 つらいことあるかもしれんけど、立ち止まることもあるかもしれんけど前向きに。 がんばります。 10年間、本当にありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 14, 2018 09:32:37 AM
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