|
カテゴリ:カテゴリ未分類
法事の際の、ご住職のあいさつは、孫代表で弔辞を言った長男をほめるものだった。
感極まって、震えながら「お爺ちゃんの意志は私が継ぎます」との言葉が感動を呼ぶものだった。 一方、喪主の私に関しては、後で般若心境を唱える母と立派な弔辞の孫の対比で「信心深くはないお父さんを飛び越えて」との表現であった。これはあんまりではないか、と思いつつも、日頃、仏事を軽んじていた事実は見事に見抜かれてしまったとも思う。 仏壇を空けて、先祖の位牌を明けてみるのも初めてだし、わが宗派が○○宗であることを確認するのも 初めてのこと。 笑ったというと、また信心の浅さを、たしなめられるのだろうが、仏壇の中央にあるお釈迦様が わが宗派とは異なる、お釈迦様が鎮座ましていたことが、わかった点。 指摘してくれた葬儀屋さんは、「機会があったら、変えたほうがいいですよ」との柔らかな 言い回しであった。 仏事というのは、人の亡くなる瞬間にしか、わからないものになっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年12月29日 17時19分08秒
コメント(0) | コメントを書く |