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ここ数年の自分の立ち位置は、仕事はともかくとして、徹底的に遊ぶことに軸足をおいていた。
一つは、仕事の上では、主力から定年秒読みの時期に突入したこと。 そして残る人生の注力は、思い残すことなく「遊ぶ」ことにあると、判断したから。 心おきなく、どうやって「真剣に遊ぶ」かに軸足を置いていた。 ところが、このコロナ禍は、「真剣に遊ぶ」ことを徹底的に許さない。 なので、自分の軸足の置き所が無くなってしまったという訳だ。 山登りしかり。予定の山行は悉くキャンセル。 夏場も含めた複数の夢の山行は、「白紙」に戻ってしまった。 この喪失感。埋めがたい。 外飲みは「夢」という程でももないが、残る人生の楽しみの大きな部分。 当然、前回の「はしご酒」の二回戦・三回戦が組まれると思っていたものが きれいさっぱり、あきらめるしかない。この喪失感。 コロナ禍は、遊ぶことに夢中になっていた人間には、なんだか 足元から現実・夢が消えてしまったような喪失感なのだ。 さて、自分の人生における立ち位置と、コロナ禍の影響は確認できた。 それで、どうするか、だよね。 じっと、がまんの時期が過ぎれば、再び「真剣に遊ぶ」軸足に 戻れるのだろうか。 それとも、「おまえ、少し遊び過ぎだろう」との神様の警告なのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年04月21日 21時11分50秒
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