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テーマ:思い出話(28)
カテゴリ:思い出
子どもの頃父の実家に行くといつも、腰が曲がって頭はツルツルの祖父が、
「よう来たのう。」 と笑顔で出迎えてくれた。祖父が亡くなってもう長いこと経つが、今でもあの家には祖父が住んでいるような気がする。 父の実家は祖母が一人娘だったので、地元の造り酒屋の三男だった祖父が婿養子に来た。口数は少ないが働き者の祖父は、毎日農作業に明け暮れた。父はそんな家の八人兄弟の七番目。だから私が生まれた頃は、祖父はどこからどう見てもお爺さんだった。それでも、毎朝早く起きて、畑仕事をしたり、鳥小屋の鶏の世話をしたり、時には山に出かけて竹の子を掘ってきたり。 私には5歳離れた姉と、ひと回り上の従兄弟、さらに2歳上の従姉妹がいるが、父の実家ではあまり一緒に遊んではくれないので、いつも祖父の後について一緒に畑へ行き、鳥小屋へ行き、山にも行った。もちろん、祖父が仏壇の前でお経を上げるときも一緒に手を合わせた。私が一緒にいると、祖父はご先祖様に向かって、 「この子がまめそくさいでありますように。」 と必ず言っていた。 「まめそくさいって何?」 祖父に聞いたら、まめに働いて元気でいることらしい。祖父が作った造語のようだけど、おそらくよく働いて無病息災であることを願っていたのだと思う。それはまさに祖父の生き様そのもの。祖母は病気がちで父が小学生になる頃には、ほとんど床についたままだったらしい。私が生まれる前に亡くなってしまったが、祖父は病気知らずで、風邪をひくこともなく、畑仕事がないときでも、納屋で縄を編んだり豆のさやをむいたり、何かしら手を動かしていた。 祖父は私が中学を卒業した春分の日に他界した。風邪をひくこともなかった祖父が、ほんの数日前に寝込み、伯母に 「仏さんが迎えに来た夢を見た。お彼岸に逝くのや。」 と言っていたそうだ。そしてそのとおりになった。 祖父に最後に会ったのは、中学1年の夏休み。父と二人で行ったのだった。祖父にべったりへばりつく年でもないし、伯父や従兄弟がぶどうの袋かけに行くのについて行ったりして、朝夕のお経を上げる時に傍にいたくらいだった。そのときも 「この子がまめそくさいでありますように。」 と言ってくれた。もっと一緒にいれば良かったと、今でも思う。 辛いことがあっても、私がいつも元気でいられるのは、祖父のお陰かもしれない。 「まめそくさいでありますように。」 と、願ってくれているから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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