嫉妬と独自の価値観
どうも私は人によって、嬉しい報告を聞いたときに、 「ホント!?良かったね♪♪(*^_^*)」という時と、 「ふん、なにさっ!」と思うことがある。 同一人物でも、だ。 この違いはなんだろう。 後者のほうは、そんな風に思ってしまう自分にも嫌気が差したり、 自分って、こんな人間だったのぉ?!なんて思い、 軽く落ち込む。 今回の私の場合、天使に聞いた話によると、 前者の場合は、 相手からはピュアなエネルギーが。 後者からは、自慢することによって、 自分と相手の格差を生じさせようとしているため、 瞬時にそれを感じ取り「ふん!なにさ!」と思ってしまうよう です。 これは私の場合じゃなくても分析したらそうなんじゃないかな。 逆に、嫉妬されることもある。そんなときは悲しくなる。 どうして嫉妬されるのですか?悲しいです。どうして??? 天使に聞いた。 その相手の嫉妬の感情をじっとみつめて感じてください。 (焦りを感じます。そして、その焦りを自分で感じたくな い、認めたくないみたい。) そうです。嫉妬していることを認めることで、 自分とあなたを比較してしまうのです。 自分はこの程度、これしかない・・・と悲しくなってしまう自分 がいるのです。 今度から、逆に励ましてあげたらどうですか? どんなに淡々とした人でも、嫉妬の心はあります。 嫉妬の心は、「比較」です。 比較の裏には、自分を下に見る目があります。 その目はどこを見ているのか・・・自分ではなく、 他人(外)を見ています。 外を見ていると自分の心の動きはほとんど見えませんが、 感情はどんどん出てきます。 次にその感情に振り回されるのです。 そして、ひどくなれば相手の行動を阻止しようとしたり 言葉巧みに操ろうとしたり、陥れようとします。 しかし、これらの行動を自覚しようとはしません。 自覚したら苦しいですから。 自分は善人であると思いたいのです。 でも、ドロドロとした感情は出てきます。 人はこうゆうとき、相手を悪者にしようとあら探しをはじめます。 そして、相手を悪者ということにして、どんどん相手を意識し ていくのです。 どうですか?これがひとつのカラクリです。 人は善人でいたいと強く願えば願うほど悪人を見つけようとします。 実は自分が悪人になっていることは絶対に認めたくない。 これがあなた方人間が長い間やってきたことであります。 相手の欠点を探したり、比較の視点で相手を見るのを 切り替えて、自分の内側を見ることにしたらどうでしょう。 人には本来優劣など無く、一人一人多大なる個性があります。 ある特定の人だけが凄いのではありません。 皆、磨けば光るそれぞれの原石があるのです。 内側を見ることは、原石を磨くことに繋がります。 どんな小さなことでもいい、自分がどう感じたか、 比較しないで、否定しないで。 自分の独自の価値観を養ってください。 独自の価値観を養うとは、自分の中の原石を磨く行為です。 今のあなたたちは、自分の気持ち、感情を100パーセント否定 しないでというのは難しいかもしれません。 が、しかし、常識と照らし合わせたり、他の人の考えと比較し ているだけでは自分独自の価値観は出てこないのです。 自分を信頼するとは、自分の価値観を養っていくことなのです。 自分を信頼できるようになってくると、 どんなに強く正統派の人が意見を言っても流されること無く 自分の足元がしっかりした状態で相手の意見を公平に聞くこと が出来ます。 これが、自信が無く、外側(の人)ばかり見ているなら、 相手の言葉に流され、圧倒され、信じ込み・・・となるでしょう。 そこには自分の意思などほとんどありません。 何度も言うように、大切なことは自分が物事に対して 如何にどのように感じているのかを知ることです。 常識でその感じていることを計らないで下さい。 独自の価値観が育ち、備わってくると、自立した人格になり、 それまでのように余計な物事に振り回されなくなります。 世の中は学びでいっぱいです。 テレビをつけても、近所に出ても、ちょっと人と話しても 感じる自分はいくらでもいます。 自分の感じることに否定もせずに、そのまま信頼していくと とんでもないところに行ってしまうと心配な方も多くいるでし ょうが、それはこれまで培った人生経験で、大暴走はしないで しょう。 万が一そうなったとしても、それもひとつの学びなので 否定せずに受け取ってください 。