悪口の定義
長い 長い間疑問だったことがある。いったい、どこからどこまでが悪口なのか。誰かに言われてショックを受けて、聞いて欲しいときがある。でも、それを言うことは、悪口になってしまうのか・・・聞いてもらいたくて話した際に相手によって、悪口だととられる場合もあるし、本当に難しい。悪口の定義って、なんだ????あなたの中では、溜まったものをすっきり言いたいのと、それを言うと悪口になるという見えない鎖で縛られているのです。実は、殆どの人はあなたと同じです。ただ、そこに意味を見出したりすること無く、その場しのぎの部分もあるし、枠にとらわれることが気付かないうちにありそのまま過ごしているのです。あなたの言う悪口とは、感情の高ぶりのケースが殆どで、その感情の高ぶり(苦しさも含む)を表現することが悪口となってしまう。でも、言ってスッキリしたいというジレンマもあるのです。世の中の殆どは、「悪口・陰口はいわないこと」といわれておりますので、皆、何の疑いも無くいけないことだと思っています。人間は感情の生き物でもありますので、なにか腹の立つこと、嫌なこと、苦しいことがあれば当然のように心がざわつきます。そこに親しい人がいれば、話したくなるのも当然でしょう。問題は、悪口と捉えられるか、発散と捉えられるかのちがいですね。悪口とひとくくりに捉えて欲しくないというあなたの訴えなのですね。では、本当の悪口・陰口とはどんなものかといいますと、『故意のもの』となります。それは、愚痴でも発散でもなく、相手を陥れるために噂を流すなどです。そして、相手が噂によって独りぼっちになって悲しんでいるところを見て一人ほくそ笑むことなのです。私共が捉える悪口とはそんなところでしょうか。人に嫌なことをされて、そのことを聞いてもらう行為、すなわち発散とは、相手を陥れることでもなんでもなく、その人にとっての嫌なことがあったという事実なのです。何でもかんでも悪口と捉えるのはストレスになりますね。私共からみれば、発散しないで溜め続けるほうが心にも体にも毒といえるのですから・・・