自分には価値がないと思っていた枠外し
最近の私は、自分についていた枠がどんどん外れてくる。多分、今はそんな時期なのだろうね。 昨日も大きな枠が外れた。またまた娘と入浴中に(笑) 人は自分の話を聞いてもらいたい。自分のことをわかってもらいたいもの。 私はこれまで、自分の話を人に聞いてもらうのは相手に対して申し訳ないという気持ちが常にあった。自分の話を聞いてもらいたい、でも、悪い・・・そんな葛藤と我慢のせいで返って余計に話したくなり、罪悪感を持ち苦しいけどそれに反してたくさんしゃべりすぎてしまう。 いつもさんざん話し終わって言う言葉は「ごめんね、話しすぎたね」だった。 昨日の入浴中も娘に話しながらも『聞いてもらって悪い』だった。 どうしても、その気持ちが抜けない。逆に人の話は躊躇無く聞けるのに・・・。 よし、これは何かある。見てみよう! まず目をつぶり、罪悪感を感じて苦しいところに手を当てた。 イメージで、明治時代の奉公人の女の子が出てきた。古めの赤い着物を着ている15~6歳の女の子。その子はとても遠慮深く、話を聞こうとすると 「とんでもない!とんでもない!私の話なんて・・・。」 その子は、自分には価値がないと思っているのだ。自分の面倒を人に見てもらうことは、相手に対して申し訳ない!と、かえって落ち着かなくなるのだ。 言い方を変えて、今度は「じゃあ、その苦しくなる感覚をどうにかしたいと思わない?」すると女の子は「・・・そうですね・・・。それでは、お願いします・・・」と、しぶしぶ返事をしてくれた。 その女の子を見ていると、母親からあまり愛情をもらえず自己肯定感が育たない環境だったと思えた。 その子の幼児期に戻り、母親に抱っこされて母乳をもらっているところを見た。 母親も同じように自己肯定感が少ない。だから、自分の娘に対しても、大切に扱うというよりもこの子はいずれ奉公に出す子。我の強い子に育たぬように、蝶よ花よというような育て方をしない・・・と決めていたように思えた。 『ここだ!』と思い、修復した。 まず、母親にはイメージで、不安が無く柔らかい気持ちで育児できる環境におき、その子を母の愛情で満たしてもらった。これでまずは土台の完成。 母親からのたっぷりの愛情の土台が出来ると、必然的に、その子に意欲がわいてくる。 『勉強がしたい』と言い出した。 その子は勉強をすることで、みるみる自分に自信をつけていく。愛情と安心という土台の上で、その子はすくすくと育っていった。 やがて、奉公に出るのだが、前とは違って、ただ言われたことをするのではなく、勉強をしながらも、働く状況・環境をきっちりと見極め、工夫を凝らしながらも楽しんで仕事をしていくうちにどんどん出世していった。その後もその女の子は、自分の意思でどんどん幸せに前に進んでいった。 ・・・という映像だった。最初に出てきた状態の女の子は、自分に価値がないと思い込んでいて、人からどう思われるだろう、また怒られるのではないか私はバカだから、せめて人に迷惑をかけない生き方を・・・と思っていた。 幼児期に戻り、そこだけを修正しただけで、自然に意欲をつけて、やる気を出し、人からどう見られるのかよりも、自分がどうすることがいいのかという観察眼を持つようになった。その後は自分の学んできたことや、経験を活かし意欲的に仕事や勉強をして幸せになっていくという路線に変わったので驚いた。 この自己催眠が終わると、気持ちがスッキリした。このイメージの最中に、これまでのつまづきや上手くいかなかった理由がはっきりとわかってきた。 人は自分をどう扱うかで、人からの扱いが決まるものだと思う。私の話はつまらない、申し訳ない、聞いてもらうのは相手に迷惑だ、自分はつまらない価値の無い人間だと思っているとパートナーや友人などは無意識に『お前はそうゆう人間なんだね。ではそのように扱うね』となってしまう。 私の夫は、かつて私の話を聞かなかった。相槌もしなかった。本当にバカ扱いしていた。 今はかなり違う。自分で自分の扱いを変え、私ってやるじゃん!と思う機会を増やすことで、自己肯定感が増し同時に夫も優しくなっていった。 まだ昨日自己催眠をしたばかりだからどこがどう変わった!とはまだわからないが、自分の気持ちが芯から満ちているのは確か。 なんともいえない不安感や、人の目線より今自分にとって本当にやりたいことに目を向けられるようになってきました。