自分を信じて『芯』が入る
夕飯の支度中、もうすぐで卒業する娘の小学校での出来事を考えていた。本当にいろいろあった。表面上は誰にもわからないけれど、娘に対するいじめは、本当に多かった。話を聞くと陰湿だったし、先生や他の人に見えないようないじめも多かった。そのせいで頭が痛くなったり、腹痛を訴えたりする娘に我慢を強いることは酷なことだった。その度に私は自分の中で葛藤が始まる。小学校のお母さん同士の付き合いもあるし、私がいじめる子の親にそのことを話すことで今後私のほうが陰でどのように思われるかわからない。それでも、精一杯考えて相手を攻め立てずに事実だけを伝えようと務めてきた。相手の親にはきちんと伝えることも出来たし、その子からのいじめもなくなった・・・でも、違う子にまたいじめられる娘。次から次へとまるで私達を試すかのようにいじめが始まっていった。解決しても解決しても、どんどん始まる。事態を見たら、親が出て行かなくてはならない事が多かった。そんな娘も、ある時をきっかけに強くなった。言い返すことも、「NO」とも言えるようになり傍目から見てもオーラが違う。吹っ切れた娘を見て、今は頼もしく思う。学校も楽しいと言う。娘のいじめの問題もあったけど、周りの母親や先生にどのように思われるのかが手に取るようにわかるため親である私の立場として結構きついものがあった。はじめのうちは、いじめに対して積極的に取り組んでくれた先生も予想通り、型をはめた目で見るようになったように見えた。娘や私に対しても、話半分にしか受け取らないように感じた。確かに、あれだけ次々といろんなことがあったら、こちら側が変だと思われるのも仕方がない。変だと思われたくないから、これまで細心の注意を払って先生に話してきたのに。そんなことを考えていたら、頭の中で声がした。あなたは、物事を型にはめて考える人が怖いのね。あなたは、人に「変な人間」と思われるのが怖いのね。だからあなたは細心の注意を払ってこれまでやってきたんだろうけどあなたは相手の自分への評価を気にしているの。相手のことは変えられないのに、ね。あなたは、「変な人間、クレーマー」と思われることが何よりも嫌なのね。では、あなたは自分が今までやってきたことを変なことだと思うの?自分のことをクレーマーだと思うの??思わない。私は次々とやってくる件に、きちんと対応してきた。でも、あまりにも件数が多すぎて、私が過剰すぎると人に思われても仕方がないよ。あなたは自分ではきちんとやったんでしょう?世の中にはいろんな捉え方をする人間がいるけど相手を型にはめて考えるほうが、その人にとってもラクだし面倒ではないんだよね。でもあなたは型にはめて考えられることが怖い。そう思われないようにするために、必死に言葉と態度を選んで話す。人を『変な人』って型にはめるのって暴力的な感じがしない?あなたは他人に自分の評価を委ねて、他人の人生を生きているみたい。そんなことして楽しい?どうして自分は他人にどう思われても、きちんとやったんだ!って堂々と出来ないの?あなたは自分ではなく、他人の評価を見ている。そのために生きているみたいじゃない?そうだった。私は人の思っていることが結構わかってしまうというのも手伝って自分の思いよりも、他人の思いに思いっきり気をとられていた。『芯』の入った自分に憧れて、目指していたのに、自分の評価を他人に委ねて一喜一憂していた。私は自分に恥じることはしていないし、やることはやってきた。そんな大変な努力をした自分を無視して、自己評価をしてこなかった。『芯』の入った人とは、これまでの自分の行動にも責任と自覚を持って他人の評価ではなく、自分のやってきた実績を認めて自分を信じること。他人の悪意に流されないこと。他人の評判にあっさりと乗り移らないことだ。数年前に、尊敬する人から『芯』について言われたことがあった。私の最大の課題だった。でも、娘のいじめが嘘みたいに次から次へと起こったことで私の心の弱点が露呈された感じになり、こうしてわかった。『芯』は『信』でもある。自分を信じるこころ。10年ほど前、あるチャネラーさんが神から貰った言葉に『 芯 』 『 信 』 『 真 』 『 神 』 『 心 』とあった。今はそればかりを思い出す。異常と思えるような(笑)ペースで起こった娘のことは、ひとつは私に『芯』を教えてくれるための出来事だったと今だから言える。