「鎖」がほどけるとき
珍しく家族全員で風邪をひいて、娘が中耳炎に。 私は微熱と鼻づまりがひどくぼぉ~っとする。 昨日の日曜日はありがたいことに夫が家事全般を引き受けてくれた。 そんな中、夫がラッキョウを汁ごと冷蔵庫から落とし、 辺りはベタベタになったという。 そうとは知らない私がそこを歩くと当然ベタベタ。 どうしたの?と聞くと 「お前がだらしなくて全然床掃除をしないからだ」(酔って半分ふざけて言っている) 夫は私が床掃除をしないからベタベタになっていると言い張るが 頭にきて反論して問いただすと、自分でラッキョウの容器ごとこぼしたことを認めた。 本当にただそれだけの事だけど、私は無性に頭にきてどうしようもなかった。 私は「だらしがない」という言葉に敏感だ。 子供のころからいつも「だらしがない」と叱られてきた。 継母や父、叔母などの親戚が主にそうだ。 訳が分からなかった。 どこが?だらしがないの? 「だらしがない」と言いながら人格否定。 私はこの言葉に慣れるほどになり、 いつしか 「私はだらしがない」 そう思い込むようになっていった。 ベタベタになったキッチンの床を洗剤をつけて拭きながら そんなことを思い出していたのだ。 ふと「劣等感」という言葉が浮かんだ。 もしかしたら、私を責め続けてきた人たちは、 自分の劣等感を私に投影して、私を責め続けたのではないか???と。 私はその言葉をそのまま受け取り、 私はだらしがないんだと思い込まされていたとしたら??? 私に劣等感を投影して攻め続けた人を思い起こすと・・・ やはりそうだ。 なぁんだ。そんなからくりだったのか。 「だらしがない」のほかにもたくさんある。 相手の劣等感をぶつけられ、それは自分の事なんだと思い込む。 大人になった今でもあることだった。友人だと思っていた人に失礼なことを突然されるのもそうだし、子供のいじめなどもそれにあたる。数年前、私の尊敬するセラピストさんに 「小さい頃から色んな人から色んなことを言われてがんじがらめになっていますね。 鎖でぐるぐる巻きのようです。 でも大丈夫ですよ。 あなたはそれに気が付いて、スーッと取っていきますから。」 「40歳の声を聞くころからは人生バラ色ですね」 この言葉を支えに来た私。 今月末でやっと40歳になる。 改めて昨日気が付いた。 私の周りには、常に劣等感の塊の人がたくさんいたことに。 そして、いろんな人が私に劣等感を投影していたことにも気が付いた。 きっとこれが子供のころから私に巻き付いていた「鎖」なのだろう。