それじゃあ何も変わらない
父に血液がサラサラになるという梅エキスを持っていくことになったがお互いに日にちがなかなか合わず、「じゃ、近いうちにもっていくよ」と伝えた。土日を挟んで、平日に届けようと思ったが頭痛がしたのでやめた。翌日父から「いつ持ってくるんだ?」と電話が来た。電話が来たときは都合が悪かったので、翌日に届けることになった。「ちょっと用事があって行けなかったんだよね」そう伝えると、小さく呆れたように父が鼻で笑った。その瞬間、嫌な感じがした。こんなことで心から呆れたように鼻で笑うその行為が私の中の何かを、遠い記憶を蘇らせた。電話を切った後も、妙に残る嫌な感じ。なんだろう。でも、私の心の奥から何かが伝わってくる。他のことをしていたら気が紛れるけど、ふとまたあの電話の事が頭をよぎる。夢を見た。車で父の兄である叔父の葬式に向かう夢。叔父は実際に亡くなったが、叔父の葬式の夢は何度か出る。叔父は生前私をとても可愛がってくれた。今回は、死んだはずの叔父がすごく若返って私の前に現れた。肌つやのいい20歳くらいの若さだった。叔父は夢の中で私に何かを言ってた。何を話していたのかわからないが、その横で気難しい顔をして書類を見ながらひとりブツブツ文句を言う父がいた。夢はそこで終わった。叔父は私に何かを伝えたいのかな。子供たちが学校に行った後、天使たちと話をした。父の呆れたように鼻で笑うということがきっかけで心は沈んでいた。天使に色々聞いてるうちに、叔父と繋がったような感じがした。「お前の父さんはなぁ、自分を見つめてこなかったんだ。だから、都合の悪いことはいつも周りのせいにして怒っていた。」そう聞こえた。父は昔、本当に短気だったし、よく怒鳴っていた。自分が怒り狂うことも何故か私のせいになったり、理不尽なことが多かった。そのくせ、私が周りの大人(継母やその親戚)にいじめられていても見て見ぬふりだった。子を持つ今の私から見ると、子育て放棄した人に見える。そんな父の電話でのふとした「鼻笑い」。思えば、私が大人になってからは特に、バカにしたような態度だった。私は何もしていないのに。なんだか悲しかったけど、それが父のプライドなのか?3歳の時に別れた母も同じく私に対してそんな感じだ。両親とも何故か私を「だめなやつ」と決めつけたい感じがするのも否めない。それほど深く気にしていたわけではなかったが、今回は「何故?」という思いに囚われた。父も齢だし、ああだこうだと責めるつもりはない。今回は叔父も手伝ってくれたこともあり、妙にすっきりした。親とはいえ「人間」。自分の心を見つめていないと、都合の悪いことから逃げて人のせいにして生きる。本人はそのことに気が付いていないケースがほとんど。鬱憤を人にぶつけ、人のエネルギーを奪って生きる。当然その人たちにも心の傷がある。心の傷がない人はきっと一人もいないだろう。人は誰でも人に共感してもらいたがる。自分をわかってほしい。私も自分を理解してほしかったし、共感してほしかった。切望していた。でも、そんな環境で誰も理解・共感をしてくれることなくそれどころかエネルギーを奪われることも多く、間違った自分への価値観の押しつけが多かった。(お前はだめな人間なんだ。どうしようもない人間なんだ、と。)宗教の人でも、人生の達人??のような人でも、理解してもらえず、自分の心を自分で見つめ、自分の中に入っている人から与えられた価値観(劣等感)と、本当の自分の声を聞き分けることから始まった。やっぱり、「自分はどう感じるか」が大事だし、全てだと思う。あらゆることにいろんな価値観が存在して、そこには人の思惑があるケースもある。そこを見極めていかないと。自分の心を見つめられない人は、きっと怖いんだと思う。怖いから見ない。そして、周りのせいにして不平不満を漏らしながら生きていく。それじゃあ、何も変わらない。