可哀想と思われたかった
実は、姑との仲が悪い。悪いというか、私が一方的に行ってない。結婚してからというもの「母親のいない人は・・・」と色んなたとえ話をされて、嫌な思いをたくさんした。姑は、私のことをサンドバックのように、意地悪を尽くした。夫に訴えても、聞いてくれない。舅に訴えても聞いてくれない。結婚して、こんなにも私には「母親がいない」ということを楽しそうに言う人は初めてで、何かにつけて意地悪をしては楽しんでいる姑に会うのも嫌だったけど、半ば強制的に姑のところにしょっちゅう行かされる日々が何年も続いていた。ある時、姑に反撃し、それ以来数年間正月すらいかなかった。夫にはそろそろ許してやれよ的なことを言われ、ぼちぼち会っている。でも、姑の本質は変わるわけではなく、サンドバックのようにしてきたという精神的な甘えは私の姿を見ると思いだすようで、やっぱり出てしまうらしい。物をやたらとくれるのだが、腐りかけのものだったり、解っているのにかびたメロンを出されたときはもう行きたくないと思った。だからなるべく行かないようにしてきたんだけど、夫が姑の元に行くと、ドッサリと手土産を持たせる。綿ぼこりや髪の毛が大量に入った炊き込みご飯とか、ちょっと考えられないような意地悪なのか何なのか、をしてくる。それでも夫は、「お礼の電話くらい入れておいた方がいいよ」と言う。そうやって繋ぐのだ。そうやって繋いで電話を掛けさせて家に呼びたいのだ。家に私を呼んだらサンドバックに出来るのだ。 こんなことを考えたのは、「姑が嫁に殺されかけるという事件」を目にしたから。事の発端は姑が嫌がらせで嫁が作っていたカレー台所捨てたかららしいね。 前置きが長くなったけど、さっき、夫にどう説明しようかとかいろんなことを考えてたらハッとした。これって、私が望んだことだとしたら???ちょっとリーディングでもしようかなと目をつぶった瞬間、解った。私は姑に、「母親がいない可哀想な子」と思われたかったのだと。私は壮絶な幼少期を過ごしている割には、苦労が顔に出ていないし、悲壮感でもなく、何にも悩みのなさそうなぽっちゃりさんに見られてきた。だから、一生懸命自分の子供時代の話をしたんだけど、重すぎてまともに聞いてくれる人がいなかった。親ですら、聞いてくれなかった。どんなつもりなのかはさておき、姑は私の話を聞いて、聞いたあげくそれを題材に攻撃してきた。私は「かわいそうな子」になりたかったのかもしれない。私は母親が居なくて、苦労を沢山してきた可哀想な子に見られたかったし、そう注目されたかったんだ。あぁ!そうか!と思った時、脱力した。なんだ、望み通りだったんだ。しかも、姑にいじめられて、夫に分かってもらえないという可哀想な嫁を演じたんだ。「かわいそう」って思われること、子供の頃からずっと望んでいた。だって誰もわかってくれなかったんだもん。誰も私を守って、ぎゅーっと可哀想にね、って言ってくれなかったんだもん。ほら、小学校の時、ギプスをしてくる子ってカッコ良かったでしょ?クラスで怪我したら、みんなが「大丈夫!?」って駆け寄ってくれるじゃない?一躍注目されるじゃない?だから私は可哀そうな子になりたかったのかもなって、母親がいない子が、それを題材に姑にいじめられ、夫に理解してもらえない可哀想な妻を演じてたってわけ。なんか目からうろこ。びっくりした。この事がわかった時、心臓がどっきーんとなった。