立春と放送の周波数
「立春が過ぎてから楽になった」ある方のブログに書いてあり、そういえばそうだなー!と思ったのでした。確かに、長年あった何故か朝起きると怖いという感覚も無くなり、淡々と「今日やることは、これとこれで~」なんて楽に思う様になりました。今朝もラク~に起きて、あるアニメを見ようとテレビを付けた。チャンネルがアニメのチャンネルじゃなくて、一瞬情報番組が映った。その瞬間、頭ではなく体が反応した。胃の辺りがズーンと重だるくなる感覚。劣等感のような、「怖い」という感覚。すぐにチャンネルを変えた。あー。やっぱりそうなんだ。テレビって、ある周波数が流れているって聞いてたけど、これホントかも。特に朝の情報番組に多い。ローカルとか関係ないかも。そしてとくに、あのイスラムの画像からは、ものすごいものが流れているとすぐに分かったので、絶対に視ないようにしていた。あの映像が流れている間だけ酷い頭痛になる人もいるらしいね。視なくて良かったー!実は昔からこの感覚があった。本当に小さい頃から感じてきた。朝の情報番組が掛かると、鉛のようなものが自分の中に流れ込んでくる感覚があった。これって自分だけかと思ってた。車通勤するようになってから、FMラジオを付けると、同じように胃のあたりにズーンとくる。この感覚って 「劣等感」 からくるものだと思ってた。私が劣ってるから、こんなズーンとくるのかと。だから私って駄目だな と思ってた。ずっと。やっぱりAM,・FMに限らず、私は放送というものからそれをキャッチする。ただ、教育テレビは殆ど感じないけど。だから、朝は軽快なクラシックCD等を聴いてます。受けたズーンというものは、引っこ抜いてポイ。そしてその後に光を入れる。それでOK! (光はイメージでOK ) 立春を過ぎたあたりから、朝から軽快に過ごせる自分を感じ、明らかに世の中の波動が変わったと思うのですが、TVなどはそれと裏腹に、より重くなってますね。だって、今朝受けたあの一瞬だけののズーンも、以前よりかなり大きかったもん 今朝、朝日を浴びながら、雪の上で遊ぶスズメたちを見ながらのひとりの朝食。 軽快なクラシックを流し、なんて優雅で贅沢なんだと思った。目にするもの、耳にするもの、感じるものは、これまでのように無知だったからこそ強引に入ってくるのではなく、選べるんだという事。大事な一日の始まりの朝こそ、重い周波数を流して・・・という思惑を知り、ニュースぐらいは大人として見ておきなさいという変な常識も蹴り、新聞もやめました。自分の波長を大切にしていきましょっ