しつこい攻撃と自分を愛せない理由
今日は雨です。九州地方は猛烈な雨のようですね。。どうかご注意ください。 さてさて、前回の記事で、『自分を大切にする』について書いたんですが、そう書く私も果たして100点なの?ってところなんですが。 ふと思いついた答え。自分を大切にするには、『環境を整えてあげること』ですね。 自分の大切な我が子に幸せになって欲しい場合、どう考えたって環境をできる範囲で整えてあげるものだと思います。 バンパイアだらけのウヨウヨした、アゲを薄気味悪い目で見続ける地獄のような世界から救えるのは、自分だけです。 そして今日、ふと思ったことがあるので書こうと思います。 『自分を愛せない』という場合、自分自身を誤解していたり、それこそ真逆の思い込みを自分自身にしていて、自分が嫌いとか好きになれない、愛せないなんじゃないかと思うんです。 ふと感じたとですが、そのような場合、すごくしつこい人が来るとか、嫌な人が来るとか、感じ悪い人が来るとかあるとして、 ではどうしてそんな人が来るのか、という観点で考えてみると、もしかすると自分のことが愛せない、嫌いな部分(と思い込んでいる)と、その嫌いな人のある部分が実は共通しているのではないか、と思ったんです。 なので、傍目には絶対にそうは見えないし、『似ているだなんてとんでもない!(周囲の言葉)』なのですが、実は自分で思い込んでいる、思い描いている大嫌いな自分像=嫌いな人であって、 『あの嫌いな自分』は闇に葬ったのに、嫌いな人という形に変えてやってきているという形になっているのでは???と思ったんです。 だからこそ、しつこくコードをカットしても何をしてもやってくるのではないかと。 中には、本当にしつこいケースがあるんです。『意味のないことは起こらない』と私は思っておりますので、この共通するものは何だろう、何を上が知らせようとしているんだろう!といろんな視点から考えておりました。 嫌いな相手の印象は、身の毛もよだつほどで、だらしがないし、ずるいし、お金に汚いし・・・・だとします。 なぜその部分が嫌いなのか、なのです。当たり前でしょ!・・・じゃなくて、なぜその部分をピックアップして嫌いなのかなんです。(例えば、他に浮気ぐせがある、などもあるのにそこは気にならないとかあるんですよね。意味深) どうしてその人がアピールでもするかのように来るのか、見えるように存在しているのか、なんですよね。 すごく嫌かもしれないんですが、自分自身の嫌いだと思い込んでいる部分(思い込まされてきた自分像)と、その嫌いな人と共通する部分があって、それをめちゃくちゃ見せられているんじゃないかと思うんです。 本当のあなたはその人と同じじゃない。表層でもそう認識していると思うんです。でも、本当は大嫌いな自分がいて、それがその嫌いな攻撃してくる人の嫌な部分(どうも気に触る人)というケース、少なからずあるのではないかと思い、だからこそすごくしつこく同じ人からくるのでは?と思うんですね。 ちょっとこの視点から考えてみると、あの相手のことを『大嫌いだ』と激しく反応していた自分の理由がわかるかもです。 私はこの点に気がついてから、長いこと深い部分で自分のことを「だらしがなくて、汚くて、ずるくて、頭の弱い人間で、厭らしい・・・」と思っていたことに気がつきました。なるほど、だから丸ごとの自分を愛せない自分がいたんだ、と。 アゲほど、この思い込みを入れ込まれ、あるときに自分で認めてしまうんです。そこから思い込み・傷となってしまいます。 嫌な部分の自分は葬り去って、努力して塗り替えてきたのに、なのに、嫌な葬り去った自分が嫌な人になって、そこを堂々と見せつけながらもやってくるんですよ笑なので余計にうわヤダ、恥ずかしい!嫌い!となるんです。 そんなケースが多いかなぁと思いました。ちょっと考えてみたら、あの嫌な人と私が同じ!?という思考から、本当は違った!とホッとする瞬間がやってくるかと思います。 アゲは本当に多くの思い込みを入れ込まれております。苦労している人ほどに。 だからこそ、なぜか自分を愛せない。自分を大切にできないんです。 まずはここからかもしれません。しつこいしつこい攻撃は、ある意味アピールです。 しつこくして、「おいおい、気づいて。あんたはこれじゃないということに気づいて」というものかも。 確かに、アゲの受ける攻撃たるや、本当に凄まじいケースがあります。でも、その全てが、もしかすると自分自身への誤解を解くものかもしれない。 以前、 この写真を載せ、ある方から、 「神がこのようなことをするのなら、私は神を嫌いだ」だったかな、そんな言葉をもらいました。 いえいえ、違うんです。神がバンパイアを送り込んでいるんじゃない。 例えていうと、 海に入るとなぜか自分が海に入った時だけ、鮫が来る。びっくりして船に戻るも、毎度毎度他の人の時は来ないのに、自分が海に入った時だけ鮫がやってくるんです。 それは、その人が実は体に切り傷があって、出血していたからで、鮫は血の匂いを嗅ぎつけて毎度やってきた、という例え話をしました。 これは、アゲに心の傷があると、傷部分からアゲのエネルギーがダダ漏れになります。この傷をサゲが狙ってこの部分に攻撃をするんです。コードを繋ぐんです。これと同じなんです。 バンパイアは鮫と同じく、非常に臭覚に優れておりますので、どんなに人数がいようが、離れていようが、アゲを確実に嗅ぎ分け、狙います。(バンパイアはアゲ専門です) そしてコードを繋ぐのです。 コードを繋ぐのは、決まって心の傷の部分。例えばアゲに、『自分は人間関係が苦手だ』という思い込み・心の傷があるとすると、その部分を執拗に狙い、周囲を利用してアゲを仲間はずれにし、みんなにいじめに加担させ・・・などをするわけです。コードを繋ぎ、アゲから思い切りエネルギーを吸い上げる。しかも傷つけて奪うアゲのエネルギーは絶品のようで、ギラギラの目つきになっておりますよ。 これは一つの例えなので、いろんなケースがあります。 バンパイアは、たとえ話の鮫と同じで、傷を狙う。確実に狙う。でも、アゲは自分の傷から血が流れていることを知らないで海に入り、その部分を狙われるわけです。 だったら逆にその臭覚を利用して、傷があるならその部分を見つけてもらっているのだから、その傷・思い込みをあぶり出してもらって、手放そうよ!ということを私がやっているわけです。 こうゆう観点で見ていくと、世の中って自分のためにあるんじゃない?と思うことが多い。 私だけじゃなく、その人その人が主役なの。 『いい?気づいて。あなたは自分はこの人と同じだと思って、そんな嫌な自分を葬り去った。だから、100%の自分を愛せないでしょ。 でもね、違うんだよ。あなたは本当は「これ」じゃないんだよー!!!』 というのを、ものすごいタイミングの良さ(悪さ)で見せられる。 これから全部忘れて楽しもうとしているときに、嫌な人と遭遇するとかね。 コードを繋がれた痛みで教えられたり、痒みだったり色々ある。眠れないとかね。(コードを繋がれて眠れないときは、体が眠くても胸がヒリヒリ熱い感じとか、変に興奮している感じでどんなに疲れてても眠れないのが特徴) とにかくバンパイアのアピールは必死。 そうやって考えると、一人一人めちゃくちゃ愛されているのかもね。って、『愛』という言葉に抵抗のあった私でも流石に感じるわけです。 私だってその真っ最中。いろんな角度視点から見て、立場上いろんなケースを見せてもらって、毎日トンチですよ。 なぜこの現象が起こるのか、とね。 解決できないときは不甲斐ない自分を責めることもあったんですが、それでも諦めない。(流石にダメなケースもあるけど)だから上はどんどんヒントをくれるわけです。 いろんな人間を見てきたけど、一人も無駄じゃないという言葉、あながち嘘じゃない。 本人の自覚なくとも、役立っている。必ずどこかで誰かの大きな気づきになる。 そして気づくと、ご褒美がもらえる。波動が上がる。レベルアップする。バージョンが変わる。 上は、ルールとしてその教えを直接人間に言えない。だからこそ、しつこくしつこく、サゲやバンパイアを使って現象で教える。 (バンパイアが来るのは実は末期のケースも。何度も何度もお知らせとしてきているのに、気づけなくて、雪だるま式に大きくなったから) 厄除けとか、祓ったとしても、やってくるのは上が気づいて欲しいから。幸せになって欲しいから。 そう思えて仕方がない。 上はルールを直接人間に教えることができないからこそ、トンチのような形でヒントを必死に投げかける。 しつこく何度も。 全部スルーしていると、上はすごく残念がるけど、謎解きに取り組んでいくと、どんどんヒントをくれるんですよ。 それは、私はみなさんと同じく謎解きをする立場で、教える立場ではないんですが、それでもこうやってシェアするわけです。 すると、同じ人間同士がこれを見て、気づく。 或いは、上がこのブログに導くとかね。よーくあるケース。多くが「偶然たどり着いた」と仰っております。 私は宗教も何もしていないけど、全部自分の感覚でいる。自分で感じること、考えたこと、それを載せている。 そして自分で考えた必要なセッションをして今いる。 最近ハードでじっくり考える暇がないくらいにわんさかだけど、ふと、感情的な出来事があって、それってなんだろう??とじっくり考えると、実は気づきの促しだったりする。 無駄がないですよ。本当に。妙に引っかかる、妙にむかつくとか笑そこにヒントがあるとか、なんでこんなに同じことが?という場合も、実はお知らせだったりすることも多い。 人間同士のシェアはいいんです。なんかね、上が人間に知らないことを教えるのはルール違反だと聞いたことがあって。多分人の学びを奪うことについてでなんしょうね。教えていいことと、教えてはいけないことってあるようですね。 久々掲載。娘の作った晩御飯。黄色いのはコーンスープではなく、『とうもろこしのすりおろし』です。和風コーンスープのような、どろっとしたものですが、美味しかったです。 *ホームページの中のブログを久々に更新しました。毎日たくさんの感想をいただいているのですが、なかなか時間がなくて掲載できておらず、今後了承を得たものを順に公開させていただきます。(時間かかるだろうけど) 今回は珍しくホームページのブログに感想を掲載しました。結構読み応えがありますし、どんな感じのセッションなのか、そしてどうなっていくのかもお分かりになるかなと思います。 弘恵のセッションて、どんなことしてるの!?と思われている人も多いと思います。 セッションは日々進化しております。思い込みの手放しと書き換えのワークについてはとどまることを知らない感じで、どんどんレベルアップしております。なので昨年のものと全然レベルが違います。(自分で言うけど。人にも言われる) ちょっと参考にしていただけたらと思います。