時々思うことなんだけど、昨日もQuesaを観ながら考えていた。
僕は邦楽を分けると2種類になると思う。
ひとつは、自分が日本人でよかったと思う音楽。そしてもう一つは世界の中の日本というところでたまたま鳴らされている音楽。
前者は、僕が日本人だから、日本語を理解できるし、日本語で創られたからこその響きを楽しむことができるということ。韻をふむとか、言葉遊びとか、そいうことってどこの国にもあるけれど、やっぱり本当に理解しようとなるとそれはとっても難しいでしょう?
で、後者は、国っていう概念にあんまり捉われないっていうこと。
たまたま、その人たちが日本人なんだってだけ。
仮にその人たちが別の国の人で、別の国でおんなじ音楽を鳴らしていたとしても何の不思議もないというかんじかな。
前者はたとえば忌野清志郎。
身近なところではYupitalk。
日本人じゃないとその歌詞の中に込められたことば遊び的な部分を理解するのはきっと難しいだろうな。でも、すごく素敵だから、海外でも聴いてほしいと思う。
後者はCornelius。
そして4bonjour's parties。
コーネリアスに関して書く必要はないでしょ?
4bonさん、前情報を何も知らずに音だけ聴いたら、どこの国の人かなんてわからない。
でもね、これって国が変わってもおんなじことが言えると思うんだよね。
フランスならフランスにそういう人たちがいるだろうと。
スペインにはスペインにそういう人がいるだろうし。
で、当たり前だけど、簡単に言えば母国語で歌うのかどうかってことなんだね、それを分けてるのはさ。
だからさ、母国は大事にしなきゃいけないなぁと。
愛国心てのはさ、いろいろあるんだなぁと。
日本を大切にするってのは日本語を大事にするってことだよ。
自分の国の言葉を大切にできなかったら、外国の言葉も大切にできないなぁと。
そして、そういうのも飛び越えた部分で無国籍的に音を創れるってのもスンゲーなと。
音楽って素敵だわ。