アカデミー賞で日本のイルカ漁を取材したドキュメンタリー映画がドキュメンタリー部門で賞をとったそうな。
追い込み漁でおこなわれるイルカ漁を隠し撮りしたその作品には、海面が血で染まるシーンなどが出てくるようだ。
たしかに、血で染まる海面をみれば気持ちの好いものではない。
僕自身、べつにクジラやイルカを食べなければいけないとは思わないし、食べたいかと言われると、別に......。
テレビの取材に答えて、イルカは高等生物だから殺してはいけないとその監督は言うが、
まあ、それも取材のうちの一部分だからね、もしかしたら編集されてて、もっときちんとしたことを言っていた部分はカットされているのかもしれないから、その人自身のことについてを触れようとは思わない。もしカットされていたら公平じゃないもんね。
そうなるとさ、その映画に対して公平に取材していないと主張することもできないからだ。公平であるということは難しいなぁ。
さて、僕が言いたいことは、
野生のイルカの血が海面を染める漁法が残酷であるということを真であるとするならば、
牛肉や豚肉、トリ肉、鶏卵を食べることも同じく残虐な行為を伴うということも真だということだ。
なぜなら、肉や卵として僕らが食べるために命を与えられ、殺されるためだけに彼らは育てられているからだ。
そして、それを真とするならば、野菜も全く同じだ。
人間はそうして生きてきた。
だから野菜だけ食べていれば、より残虐性が低いとか、そういうことにはならないと思う。
必要な物を必要なだけ食べる、それ以外、残虐性という言葉へ、生きるためだからというエクスキューズを与えることはできない。
何が必要なものか、そして、必要な物だけという生き方が、はたして人間と言えるのか?
必要でないものを消費することによって急速な進歩・進化を遂げた人間という存在を否定することにならないのか?
僕は、イルカを殺したいとも思わないし、豚も牛も殺したいとは思わない。
殺したいと食べたいが直結しなくなってしまった。
これが、人間なんじゃないの?