じいさんの運転する車に、ぶつけられた。
それも、国道で。
怪しく遅い紅葉マークを付けた軽トラックが僕の2台前を走っていた。
僕の直前の車は脇道に曲がるので、僕もその後ろで減速。
その脇道が細かったからか、すぐにはその車が脇道に入れずに、
僕もその車の後ろでいったん停止する。
そして、その車が脇道に消え、いざ再出発しようとした時だった。
先頭にいた怪しい紅葉マーク軽トラが、車線の真ん中で停止している。
右ウィンカーが出ている。
右折待ちか......、僕は、この軽トラが右折したら動き出すつもりで、その場を動かずにいた。
ところが、その軽トラ、何を思ったか、いきなりバックにギアを入れているではないか。
な、なな、なにすんだ?
一瞬、僕はどうすべきか考える。
しかし、クラクションを鳴らすくらいしかすることがない。
クラクションをならす。
聞えていないのか、まだバックしてくる。
おかしい、これはおかしい!
僕も、少しでも逃げようとバックを試みるが、すでに後ろには車。
クラクションを必死に鳴らし続ける。
後ろにいるよなんて優しい鳴らし方じゃない、だめだーだめだーっ!!近寄るなー!
ぶつかるーーーーーっ!!!!!!!!!!
そんな必死なクラクション。
しかし、まったく気がつかない。
あああああああああああああああああ.........もううううううううう.........
ぶーーーーーーーーーーーっつーーーーーっかーーーーーーっるうううううう!
ごわっしゃーーーーーーん。
命中。
そこで、ようやく後ろに僕がいることに気がついた。
しかし、だ、ぶつかったということはわかっていないらしい。
いや、ぶつけたことを気にしていないのか?
うしろがいてもうバックできないとおもったからか、僕の前の車が入って行った脇道へ入っていく。
ぼくは、その軽トラが入ろうとしていたらしいところへ入り、
軽トラが戻ってくるのを待つ間、会社へ連絡。
諸々の事情によりことを荒立てないようにということになり、
その軽トラが戻ってきたので、謝りに来たらせめて注意しようとおもって待っていると、
軽トラから降りたじいさんは、僕のところへ来ることなく、建物へと消えていった......。
な、そんなばかな!?
どうも、ほんとうに
ぶつけたことにきがついていないか、ぶつけても気にしていなかったようだ。
これが自分の自家用車だったら、とっ捕まえて警察に引き渡すところだが。
ほんとうに、おそろしいことだと思う。
高齢者の運転は、これが現実。
今回のようにぶつけられるまでにはならなかったが、危うくということが幾度となくある。
いたわる気持ちと、免許は別の話だ。
このような車は凶器でしかない。
現実を知らない人間が高齢者講習なんて形だけの物を考え、
こんな凶器を街にのさばらしているわけだ。
ぼくは誰がどう言おうが、高齢者からは免許を原則とりあげるべきだと思っている。
きちんとした試験を通過した人だけに更新を認めるべきだ。
反射スピード、認識力、全てが衰えるのは誰も避けようがない事実。
いくら速度を出さなくても、それを上回る衰えがあるのだ。
若い人の40キロと高齢者の40キロは全く違う。
公共交通機関がなく不便な田舎だからといってその事実は曲げられない。
車でなければどこにも行けない、そういう話をよく聞く、この手の意見に対しての反対論。
そんなことはわかっている。
そんなことはわかっているのだよ。
だがしかし、高齢者を守るためにも必要なことなのだ。
以前、知り合いの弟の車が、いきなり脇道から飛び出てきた高齢者の運転する車にぶつかり、運転していた高齢者は亡くなってしまった。
その高齢者の運転は僕も以前から危ないと思って、その車には近づかないようにしていたから、いつか、そんな事故が起こるのではと思っていたのだ。
現実にこうして事故がある以上、不便だからという理由でごまかすのはやめよう。
ただ、行政でサポートする予算を組めないだけのことなのだ。
いいじゃないか、ほんとうにそういう福祉関係に税金を使うのなら、僕は喜んで増税を受け入れる。