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かつて医者を目指してた僕は、いつのまにか映画に魅せられていた。 映画監督になりたいと必死に考えたけど、 どうしたらなれるのかいくら考えても分からなかった…。 夜空を見上げた夢の分だけ、花壇の花を踏みつけていた。 でも・・・、 誰かが言ってた言葉がきっかけとなり、 19歳の時、僕は映画監督宣言をした。 『映画監督は、「なる」ものではなく「やる」ものなんだ』 映画「らくだ銀座」公式HP YAMAHAのSOUL SWITCHで紹介されました
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フィリップ・ノワレ氏が11月23日に亡くなっていたというニュースを僕は、
ミンスク国際映画祭から帰国した後の12月1日に知った。 奇しくもそれは「映画の日」、もうひとつのニューシネマパラダイスと呼ばれた「明日を夢見て」が、 映画生誕100周年を記念して銀座で100円で公開された日だ。 いつか会いたい、 いつか一緒に仕事をしたいという夢は途絶えてしまった。 もう映画の中でしか、会えない。 『どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ。 おまえが小さい頃、映写室を愛したように…。』 これは映画「ニューシネマパラダイス」のアルフレードの言葉だ。 イタリア、シチリア島からローマへ出て行くトトに、アルフレードは語りかける。 その言葉はまるで、自分自身に語りかけるように、 息子に何かを託すかのように、 力強く、そして愛にあふれている。 そして、更に彼は言う。 「二度と帰ってくるな、電話も手紙もするな。おまえが帰ってきても俺は会わない。 何があってもおまえのやりたいことをやりとおせ。」 時々、僕はこの言葉を思い出す。 多少、セリフに間違いはあるかもしれないが、忘れられない言葉だ。 結局、トトもアルフレードもその後アルフレードが死ぬまで一切連絡をとらなかった。 本当は会いたかっただろうに…、ほんとに映画みたいだなと、僕はバカみたく思った。 フランス映画の最高賞であるセザール賞の主演男優賞を2度にわたって受賞した フランス映画界の名俳優、亡くなったフィリップ・ノワレ氏は76歳だった。 役者人生約50年の大ベテランで、1988年の「ニュー・シネマ・パラダイス」では、映写技師のアルフレード役を演じた。 「イル・ポスティーノ」では、詩人パブロ役を演じるなど、心温まる演技で人気を集めた。 フランスのシラク大統領は声明で「偉人が去った。舞台、映画界において、我々を魅了した一流の俳優だった」と、その死を惜しんだという。 初公開年月は1989年12月6日東京・シネスイッチ銀座。 史上空前の40週間に及ぶロングランをはたし、200数席のたった1館のみの公開で27万人以上を動員。 興行成績3億7000万円を記録。これは17年たった今でも単館興行成績no1であり、 おそらく今後も破られることのない奇跡の上映だったといわれる。 (1995年12月にリバイバル上映) 年内にもう一度「ニューシネマパラダイス」をみたいと思う。 出来れば映画館でみたいが、無理なら、事務所でスクリーンに映して観たいと思う。 この映画の監督トルナトーレ氏、音楽のモリコーネ氏にも、 早く会わなきゃなと思う。 会いたい人に会うことって幸せだから。 会えなくなってからでは、遅いんだ。 何度でもいうが、いつかニューシネマパラダイスみたいな映画を創りたいと今でも思っている。 そう強く思っている。一生に一本でいい。 僕はやる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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