609037 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

 please touch your heart

please touch your heart

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2017.03.18
XML
カテゴリ:
16日の退勤前、その日急変した患者さんが心配で
 
ICUに様子を見に行き、その後帰宅しました。
 
 
 
ー2か月前、達子さんは腰椎の圧迫骨折で入院されました。
 
苗字が某演歌歌手と一緒だったので、
 
もしかしてご親戚ですか?なんてお話をしたのが最初でした。
 
一人息子さんは仙台にいて、お忙しいのか一度も病院に来ることはありませんでした。
 
 ご主人は?と聞くと23歳の時に生き別れになり、一人で息子さんを育てたそうです。
 
 息子さんは、今の財務省にお勤めになったそうで
 
それは凄いですね~とお話ししました。
 
 
もともと軽度の認知症の症状がありましたが
 
入院をきっかけに、進んでしまいました。
 
沿岸のある地名をいつも口にしては、帰りたい帰りたい、明日帰ると言います。
 
入院するまでそこに住んでいたのかと思ったのですが
 
 実はずいぶん前に引っ越しているようです。
 
 
「達子さん、リハビリに行きましょう」
 
「いや、行きたくない。明日○○に帰るから行かなくてもいいの」
 
「○○に帰るためにも頑張ってリハビリしましょう」
 
「やだやだ、行かない」
 
 子供に返ってしまいました。
 
 
17日の朝、出勤すると
 
すでに達子さんはお亡くなりになっていました。
 
 
 前日、私がお会いした30分後に息を引き取っていました。
 
息子さんは間に合わなかったそうです。
 
 
私が最後に達子さんの様子を見に行った時
 
本当は手を取って「大丈夫ですよ」と声をかけるつもりでした。
 
 その時の達子さんは、呼吸が乱れ、目は開いたままで
 
モニターの数値を見ても、命の灯が消えるのは時間の問題でした。
 
 ベッドサイドに立った時、達子さんの左目から一筋の涙がこぼれました。
 
私は何も言えなくなり、お別れをして外に出ました。
 
 「○○に帰りたい」
 
達子さんの最後の言葉が耳に残ります。
 
一番大変だったけれど、息子さんとともに暮らした町が
 
達子さんの魂の帰る場所だったんだと......
 
 
達子さんのご冥福を心からお祈りします。
 
 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.03.18 20:35:19
コメント(4) | コメントを書く
[涙] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X