カテゴリ:自由欄
昭和28年頃までの写真が数枚あって(今流でセピア色)小学校6年生が私で、20歳の青年が本日の主役「えやさん」である。
農家の次男坊の勲さんは(えやさんと呼んだ)二十歳を機にぷっつりと音信を絶った。 聞けば保安隊に入隊したという噂であった。以後松本、東京市ヶ谷と転転したらしいが折からのハイウェイ時代の波に乗って長距離バスの運転手を定年まで勤め今ではマンション経営をしているという。 今朝、田圃の見回りに出かけたら見かけぬ老人?が折からの梅雨の最中でスッキリしない伯耆大山を一生懸命撮影しているではないか? お互いに挨拶するが「はて、見かけぬお方?」と思った瞬間「えやさん」だと思った。 所用で今年の2月の兄の葬儀に出席できなかったことをしきりに詫びていた。 おもえば50年ぶりの帰郷らしい この「えやさん」は昔流でいえば電波少年であった しきりにパーツを購入しては無線機、ラジヲ、ステレオを組み立ててこれを唯一の楽しみとして青年時代を過した。 当時、そんな遊びは我々にとってはラジオは別として高値の花であった。 下校すると必ず「えやさんち」に遊びに行った。 この薫陶のおかげで私はそのほうに職に付いたことを稀有のことと思っている。 普通なら「ちょっとコーヒー店でも」ということになるのだが、早朝なのでどうする事もできない 懐かしい思い出話がどんどん出てきて瞬く間に2時間が過ぎてしまった 今夜は妹宅で歓迎会らしい、事前に帰郷を知っていたら有志で歓迎会でも思いついたのになんとも残念である。 鹿沼市への帰郷は明日午前中出発という。 お互いの健康願い再会を約束してお別れした。 「光陰矢の如し」という、あれから50年が瞬く間に去った。 まことに「故郷忘れがたき候」で涙の出会いであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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