テーマ:OB会(12)
カテゴリ:自由欄
恒例のOB会を山陰の名湯の郷「玉造温泉」で行いました。
あいにくと寒波来襲したが1年ぶりで皆さん元気な姿で再開出来たのを最高の喜びでありました 現役の時代の転勤範囲は中国5県であった、この会は中国5県の中央(広島)で行っていたが大所帯、日帰りで行われている 簡単に広島といっても鳥取市からは片道300kmもあり遠方からの参加者は少人数となり山陽出身者が圧倒的に多いOB会であった。 これではという事で島根、鳥取県 2県で「山陰会」が結成されたのが平成の初期であった、いわゆる発展分離したのである 記念写真のとうり「無線会」となっているのは 旧電電公社の技術屋集団の呼び名である 各家庭に電話が普及したのが昭和40年代であったろうか? 全国津々浦々、離島までダイヤル即時網を目指し長距離電話、NHK,民放TVを通すため全国の都市、山上に無線(マイクロウェーブ)が建設されこれによってダイヤル自動化を完成させたのは思いで深い大事業であった この一端の無線設備の建設工事、回線保守を担った猛者集団である 昔話は懐かしい、アナログ時代の真空管時代、トランジスタ、IC,LSI,パソコン等技術革新は容赦なく進んだ 仕事をしたというよりも「勉強をした」という印象がいまだに強い、マイクロウェーブといえば当時の花形であった ※昭和42年撮影 大山無線中継所(無人)標高700m ところがである、無線は雑音に弱いという最大の欠点がる、電話通信ならさほど不都合ではないがデータ通信ともなると雑音はあってはならないのである、次第にデジタル化が進んで伝送路がマイクロウェーブから光ケーブル伝送に変わってきていまでは往時の繁栄はウソだったかのように一変してしまったのだ 一時の日本の高度成長の一端を担った先輩、後輩が懐かしい話を交わし夜の更けるまで酒を酌み交わして、来年の再開を約束した次第である 今やデジタル時代華やかでなんと羨ましい事だろう だがしかしここにアナログに青春を賭けた人々があったからこそ現代の通信技術がある事を忘れてはならないと思うのだ ※小生は前列におります。光量不足ですね、ごめんなさい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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