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先日、奥出雲町にトマト農園見学に言ったことはBLOGで紹介いたしました。
標高500mの高地、過疎地でトマト栽培に執念を燃やす社長さんはじめ従業員の皆さんの「じげ興し産業」に心からなる敬意を表します。 さて本日の話題はその続編ではありません。 あれから数日経過しても何となく気になって記しておかないと思って「本日の農作業の事は些細なこと」と省略してPCに向かっています。 亀嵩の話題をしたいと思います 「島根県仁多郡奥出雲町亀嵩」 亀嵩と聞いて「松本清張作・砂の器」を連想される方は60代、団塊の世代以降のお方と存じますが・・・ トマト農園からの帰路にマイクロバスはこの駅を通過して道の駅に立ち寄りました。 現役時代は山陰、山陽を結ぶ路線は国鉄木次線、芸備線経由で広島まで約6時間もかけての出張でした。 山陽新幹線が開通するまでは常にこのコースだったのです、長閑なものでした 「亀嵩駅」勿論、快速列車(当時は準急といっていましたね)は通過です。 しかし、「砂の器」の小説を読んだ者にとってこの駅は「電磁力」に惹かれるようにあの映画が思い浮かぶのです。 清張氏の「砂の器」が映画化されたのは74年(昭和49年) 映画は殺人事件の背景に、ハンセン病の父と、その子供の流浪の旅を描いています。 日本海の荒波、流浪する先々で2人を容赦のない迫害、 厳寒は一層彼らを痛めつけた・・父子は抱合って荒れ小屋で寒さを忍び、また流浪の旅・・ そしてたどりついたは早春、奥出雲路・・・ 「旅」の終わりの舞台が亀嵩でした。 巡査(三木謙一)の世話で病気の父は療養施設に入るため、亀嵩駅から汽車で運ばれる。 永遠の別れを予感し、少年がホームを走る あのシーンは泣けてきますね 巡査に子供がなかったのでいくいくは子供にしようとより一層可愛がったのだがある日突然逃亡してしまったのです。 三木巡査夫妻の落胆は如何ばかりかと思うのですが・・・ 三木巡査は退職後長年の希望だった「お伊勢参り」に参拝に・・ ところが事もあろうことに三木さんが東京蒲田駅操作場で死体となって発見! 誰にも恨まれるどころか情に熱い心優しい三木巡査が何故に・・・・ 推理小説はこれからが本番なのですが・・・ この後は小説「砂の器」をご覧下さい 当時私は、高校生だったと思いますが授業中知らぬ顔の地蔵顔で教科書の中にカッパノベルBOOKSを教科書で挟んで読んだ記憶があります。 すごい迫力でした、一気に徹夜して読みました、授業は何の科目だったのかさっぱり記憶にありません。 当時、江戸川乱歩氏の「探偵小説」から「推理小説」という言葉が流行し清張氏が人気作家の絶頂でした。 社会派といわれて「点と線」「黒いシリーズ」「霧の旗」「昭和史発掘」「邪馬台国論争」・・・今でも書店で見られますね。 私が昭和の文豪清張氏のことをトヤカクいう資格は全くありません。ただただ尊敬の念を抱くだけです。 <道の駅で> 「砂の器」の展示コーナがありました、興味深く鑑賞させて戴きました。 この「砂の器」は映画としては加藤 剛、加藤 嘉、緒方 拳、丹波哲郎、森田健作、佐分利 信、寅さん(渥美 清)が初版で後続が何本か、TVドラマでもご覧になった方も多いでしょう、名作だから成せる業なんですね。 ちょうど今年が清張さんの生誕100年だそうです、思い出したように繰り返し繰り返し清張さんの作品がTV放映されるのは一世を風靡したあの印象と感動がいつまでも皆さんの心の奥に残っているに違いないと思います。 「読書の秋」大好きだった清張さんの作品を倉庫から探し出して読み直ししてみたいと思っています。 <忘れていました> 県道を走っていたら「ここは亀嵩、兎はいません」 おもしろいジョークの看板を見つけて皆さん大笑いでした座布団3枚 最後までお付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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