カテゴリ:自由欄
おなじみの伯耆大山です(ごめんなさい初雪の便りではありません)
山頂の標高碑(1,709m)が崩壊の危機にさらされているという話題です。 これは正面(西側)からみた大山でこれが出雲、伯耆富士と呼ばれる所以です。 大山は<だいせん>と発音し<だいさん>とは読みません しかし一般的に山は<さん>と発するほうが断然多いですね。 その昔、遣唐使が持ち帰った発音が漢音、それ以前に仏教と共に入ったオン(音)が呉音でそれがだんだんと漢音に変化していったらしいのですが一部は呉音がそのまま継承されて現在に至っているのがこの大山<だいせん>なのですね (お経は今でも呉音発音が多いのだそうです) なんだか難しく、怪しくなってきましたが大山は古昔風の呼称で発音されているということです <造山活動について> 180万年前から50万年前にかけて噴火形成された巨大な成層火山であった古期大山のカルデラ上に、5万年~1万年前にかけてムクムクと巨大な溶岩ドームが成長した新期大山が乗りかかり現在の大山となっているということです 裾野は広大で日本海に達している。新期大山は過去数回にわたり破滅的な大噴火を起こしている。 中でも5万年前に起きた噴火は大規模なプリニー式噴火で、大量の火山灰や軽石、火砕流を噴出した。 この時の火山灰は偏西風に乗って遠く福島県まで降り注いでおり、関東地方でも目立つ広域テフラとして大山倉吉軽石(DKP)と呼ばれ、地層の地質年代を特定する指標となっている。 2万年前の噴火では弥山、三鈷峰、烏ヶ山の3つの溶岩ドームが形成され、再び大量の火砕流が噴出した。 最後の噴火は約1万年前で、有史以後の噴火記録は残されていないがこれでもって大山の噴火活動が終焉したとは考え難い。 以上 <ウィキペディア>を参考にさせていただきました ※随分怖い話ですね、死火山ではないのですか 本題です・・・この山容の特徴は見る方角によってガラッと変わります <南壁> 左方面が頂上西側、下方はブナの原生林 <頂上をUP> 一番高いところが頂上、ここに標高碑が・・ ご覧の荒々しいガレ場の連続でこれが「火山灰や軽石」で出来上がっているのです。 この山頂碑(標高碑)は昭和3,40年代は南壁はこれより10~15m後方にあったと思いますが平成には5~6mまで迫ってきて最近ではこれが70cmまで迫ってきたのです この原因は日本海側の季節風、積雪、雪解け水による崩壊、登山ブームの再来、鳥取県西部地震など考えられるけどそんなことは些細なこと、 要するに地盤そのものが軟弱なので風化、崩落が激しいのです 百名山(1964年夏初版発行)の著者、深田久弥氏は 「なになに富士ならどこにでもある。大山がそれ以上に感嘆させたのは、その頂上の見事な崩壊ぶりであった。東西に長い稜線は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。まるで両面から大山を切り崩しにかかっているようにみえた」と述べられています。 (表現豊かですね・・・さすがです) <北壁> 北の日本海からの季節風をまともに受けて・・ 山頂碑はいつ頃出来たものかは判らないらしい(そんなに古めかしいものではなく立派なコンクリート土台の上に凛として建っている)が重量6トンもあるというからなかなか移転も簡単には出来ないという。 山頂碑そのものには文化的、歴史的価値があるわけではないがさりとて崩れ落ちるのを黙って見すごすには忍びないですね すでに「移転」が決定されたがその後の詳細は「実行委員会」を作って検討することになっているという。 頂上は尖って用地が無いわけではないのでそのうち実行される事とは思いますが それでも少しでも現状維持しようとボランティア団体が周囲にコモを敷いて土石の流出を防ごうとの努力をされているというニュースが地元TVで報道されました 前述したようにこの崩壊を防ぐための土木工事は絶対に不可能です、自然の前での人間の無力さをはっきりと感じた次第です <山頂標高碑の写真について> ※山頂標高碑写真を探しましたが見つかりませんでした、インタネットでも検索できませんでした。百聞は一見なんですが・・・残念 山好きの友人にでも早めに1枚頼んでおこうと思っています 今回は探したり調べたり聞いたりで少し長くなりました 最後までお付き合いありがとうございました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[自由欄] カテゴリの最新記事
|
|