私のBLOGで毎月の連載ものは「続:男の料理教室」 「シニアネットパソコン教室」たまには「アマチュア無線」を主として書いてきました・・・
最近サッパリ「シニアネットパソコン教室」の様子はUPしていません。
実は昨年の8月から中断しています・・・・9月にリーダのY君が体調を崩し急遽入院僅か1ケ月後で亡くなってしまったのです
悔しかったのです、悲しかったのです、途方にくれてしまったのです、黙っておきたかったからなのです
このシニアネットを開設したのは2005年正月でした。
約4年半続きました・・・・「これが潮時かな?」 と思いましたね。
<思い出です>
高齢化社会の到来した今、ITなるものをサラリと使いながら少しでも多くの方に何かお役に立ち、心豊かな毎日で日々を過ごせる活動を描いていた彼はそんな折、シニアネット広島(財)ニューメディア開発協会の協力で鳥取県で初めて「米子シニアネット」を設立して
その法人化に向けての実績作りに努力を重ねてきたのでした。
その中の一員として小生も及ばずながら6人ほどのアシスタント(補助要員)として協力してきました・・・・・
収益を目的としない団体ですので会場は市役所と交渉し駐車場、会場も無料となりPCだけは30台ほど彼自身、その既知の販売ルートから購入して受講生に貸し与えその他スライド等の周辺装置も自前で購入してそのスクーリングに提供しておりました。受講生は約30人
講座回数は2回/月、皆が手分けして講師を勤めたのですが最近では彼が殆んど彼が担当しておりました。
受講生はシニアの方、寄る年波に何回も繰り返し、繰り返し学習を重ねてメール、インタネット、ワードの中級クラス、エクセル初歩、デジカメ写真の取入れ加工、賀状、名詞作り・・・と4年間の間にはだんだんと上達してきました。
受講生も入れ替わりがあったりしますが殆んどの方は一緒に学びました。
「自分史を作ろうと思って学びに来ました」
といってセピア色の戦前の可愛い写真を持参してそれに専念した初老の受講生にも合い間を見ながら手助けをしていたようです。
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彼の不幸は昨年8月から突然に起こりました
「夕刻になると寒気がし、その後高熱が続く」この症状を何日か繰り返し原因不明のまま入院したのです
その原因が総合病院でもわからず2,3週間経過後にやっと原因を突き止め「近日中に治療に専念することとなった、少し治療期間が掛かるがまあ解って良かった!」という無気力の電話口での会話で不安ながら一安心したのも束の間でした。
治療も始まらぬまま・・・62歳で帰らぬ人となってしまったのです
**とかというウイルスが災いしたのだそうですが聞き慣れぬ言葉で忘れてしまいました。
以上が簡単な経過なんですが気味の悪い話で申し訳ありませんでした。
その後は暫くは「解散、継続」すらの決断もお預けでひとまず休講となってしまいました。
彼があまりにも熱心で残された補助員はどのように対処していいのやら解からないという
のが実態だったのです。 今夜はこれで・・・・・